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私たちは、絶対にわかりあえない

日本語のTwitterを見ると、誰かに対する違和感であふれています。

「最近の親は常識がない」とか。
「上司がわかってない」とか。
「夫が子育ての辛さを理解してくれない」とか。
「子供が出したものを片付けない」とか。
「ツイートしたことを誤読するバカがいる」とか。
「新人の礼儀がなってない」とか。

要するに、全然、わかりあえてないんですよね、日本人の私たち。
同じ日本語話してて、同じ日本人でも、多分、分かり合えないんです。「常識」って共有できてない時点で常識じゃないですしね。お互いに「察する」って無理なんですよ。

なまじっか「分かり合えるはず」「同じ日本人なら察してね」って期待が大きいものだから、相手がちょっとでも違うとイライラしちゃうんですよ。

「以心伝心」とか「言わなくてもわかる」って、きっと幻想なんですよ。
言ったって、多分、わかんないんです。
だから、マニュアルはどんどん分厚くなり、マナーのポスターや新しい礼儀作法が増えていく。ルールで人を縛るしかない。

だから、いっそのこと「私たちは絶対にわかりあえないんだ」って認めてしまったらいいと思います。

マレーシア人のSNSってほとんど揉めないんです。
イスラムのマレー人と、仏教やキリスト教の華人、ヒンズー教やイスラム、シク教のインド人が一緒に住んでて、さらに少数民族が山ほどいます。そして「お互いに絶対わかりあえない」って理解してるから。

「話せばわかるはずだ!」と相手の領域に踏み込んでいったら、たちまち暴動になることをみんなわかっているのです。
だから、わかりあえないけれど、お互いに認めるわけです。

「あなたの考えはさっぱりわからないし、わかりたくもない。けれどもあなたの考えはそのままで良いし、あなたを人間として尊重する」
って感じでしょうか。

だから、イスラム教徒なのにクリスマスのお祝い行事に参加したり、マレー人が中国服を着て「中華正月おめでとう!」と言ったりするわけです。マレーシアでは、そうやって相手の文化を尊重していることを表明する人がいます。

以下は、2017年のマレーシア航空の「華人が一人も出てこない」中華正月の動画です。インド系やマレー系の人たちが、流暢な中国語で中華正月のお祝いを述べ、フェイスブックでバズり大いに話題になりました。


それはポーズなのかもしれないけれど、意見が全く違う相手を尊重する人は、成熟して見える。

多様性のある社会は、結構大変です。例えば、同じムスリムと言ってもいろいろで、マレー人でも豚肉目の前で食べてても気にしない人もいれば、豚を一度でも料理した台所はNGって人もいる。宗教的に犬はダメって人も、犬のぬいぐるみはOKって人もいる。

だから相手をパーティーに呼ぶときには、お互いに言葉で聞くわけです。
「君はムスリムだけど、豚由来のものは全部ダメなの? 食器や調理家電もハラルじゃないものは気にするタイプ? 料理に使うアルコールはアルコール成分が飛んでればOK? 僕は仏教徒だからわからない。教えて欲しいな」と。
 そして、場合によっては、食器も使わず、ケータリングと紙コップで相手をもてなしたりします。以前ムスリムのビジネスマンにインタビューした記事を貼っておきます。


日本人も、日本人同士で、同じように、相手に聞けばいいんだと思います。うちの会社の人がよくいうのが「コミュニケーションをサボらない」ってコトです。ほんとそう。「言わなくても察して欲しい」とか言って相手に期待してないで、聞けばいいんですよ。

「あなたはどうして欲しいの?」って。


すると、その態度は異文化理解にも役立つし、多様性のある社会でも武器となって活躍するでしょう。

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野本響子@文筆家&編集者・在マレーシア
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