見出し画像

新聞の「エモい記事」は必要なのか?

こんにちは。本日は若干雑な論考。

先日、元新聞記者の佐々木俊尚さんが、記者の目指す方向は2つあって、1つが「とくダネが書ける記者」でもう1つが「エモい記事が書ける記者」であると言ってるのを聞いて、驚愕しました。

あーそうだったのか! と。

エモい記事とは、事実ベースではなく、記者の主観を混ぜてくることを言うようです。

「ナラティブで、エモい記事」とは、具体的に言うと、データや根拠を前面に出すことなく、なにかを明確に批判するのでも賛同するわけでもない、一意にかつ直ちに「読む意味」が定まらない、記者目線のエピソード重視、ナラティブ重視の記事のことだ。

 実例を挙げるのははばかられるので控えるとして、たとえば、「わが町のちょっとイイ話」の類の記事であり、「地元で愛された店が閉店する」「学校教員の小話」「日々の記者の独白やエッセー」などを念頭においている。

まあ言ってみたら新聞記者の「エッセイ」だよね。

けど、この「エッセイ」風の記事が、最近では堂々と一面に出たりして、「涙雨が降る中、誰々さんの葬式がしめやかに行われました」みたいに始まったりするので、「ゲゲっ」と思ったことも一度や二度じゃない。

終戦記念日あたりではテレビ・新聞どこ見ても「エモだらけ」でええっと思ったのです。

ここから先は

1,848字
この記事のみ ¥ 300

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。