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「嫌な仕事」で1日を満たしている人が自由に生きるための一歩

朝起きて、会社に行くのが嫌だなぁ、と思ったこと、ありませんか。

かつての私はこれでした。
とにかく仕事が嫌。
満員電車に乗りたくない。

気がつくと、「あー嫌だなぁ」が口癖になっている。

会社が突然なくなって行かなくて良くならないかなー……などと、「宿題やってない小学生」みたいなことを考えていました。そして、やたらと他人が気になるのです。

でも、この「あー嫌だな……」が一時的ではなく、何年もずっと出てくるようなら、働き方を変えた方がいいかもしれません。

自由に生きようとすると立ちはだかる壁の正体

でも問題は、「考えよう」と思っても、ノイズがたくさん入ってくること。

「誰も雇ってくれなかったらどうするの」
「もういい年なんだから落ち着いたら」
「『底辺の』仕事をするつもり?」
「ホームレスになったらどう責任とるの?」
「子供の生活の責任取れるの?」

これら、実際のところ、当たっていたりして、なかなか辛いんですよね。

特に日本社会においては、身分制度である会社員から離れると、さまざまな不利益があるのはまた事実なのです。

そして、自分の責任で動くこと、「誰も、あなたの人生を決めてくれない」ことが突然、怖くなるのです。

本当はここまで酷いことにならないのですが、「自分で決める」の第一歩はすごく怖い。

「決断することをやめた人」はどうなるか

以前も紹介しましたが、哲学者の岸見一郎さんは、人は「決断から解放されたい」ことがあると言います。

「マゾヒズム的人間は、その主人が自分の外の権威であろうと、主人を良心や心理的な強制として内面化しようと、決断することから解放される。すなわち、自分自身の運命に最終的な責任を持つこと、従って、どんな決断をしようかと疑うことから解放される」

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.32). Kindle 版. 

自分で決めなければ、たとえ人生が自分の願うようなものにならなかったとしても、その責任を取らずにすむ。一方、自分で決めれば、自分がその責任を負わなければならない。もっとも、自分以外の誰かが自分の人生の責任を取れるはずなどはそもそもないのだが。それでも「自分自身の運命に最終的な責任を持つこと」を拒む人は多い。

岸見一郎,エーリッヒ・フロム. 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる (Japanese Edition) (p.32). Kindle 版.

こうした「決断しない」「仲間」に囲まれて、自由に生きようとする人々が引き摺り下ろされるのを見るうちに、「ああ、やっぱり自分には自由は無理だな……」と諦めてしまう。

子供の頃から何一つ自分で決めてこないと、余計怖いです。
私のように、「自分で決めるつもりで、仲間に流されていた」タイプも同じです。

もしかすると、
「『ちゃんと』**しなさい」との言葉のもとに、失敗の経験すら、禁じられてきたかもしれません。

そして日本は「服従を選ぶ人が多い社会」なんだと思うのですね。
だから、「息苦しい」と言われるのでは。

自由に生きたい人は、まず自分で小さいことを決める

そうは言ってもいきなり会社を辞めて独立するのは、準備運動しないで登山に出かけるようなものですね。

そこでまずは、少しずつ、小さなことから筋トレのように決断していくといいと思う。

それはすごく小さな一歩かもしれません。
「みんながいい」というものを選ばないとか、みんなが行く飲み会に行かないとか。そんなことからでもいいと思う。

私は会社の同僚とランチに行くのをやめて、一人になる時間を確保しました。こうして小さな決断をしてみるのです。

今なら、きっと副業をやってみると思います。営業・マーケティング・経理と全部自分でやってみるとまた、見えてくるものがあります。

すると、会社にいる自分を「俯瞰しえ見る」時間が増えます。
比較対象ができることで、会社を客観的に眺めてみて、「この会社にいるのもそんなに悪くないなー」と、「選び直す」こともあるかもしれません。それはそれで、一歩前進だと思うのです。

自由に生きたい方は、私の本もどうぞ!

それではまた!

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