戦闘に巻き込まれたときにどうするかを考えてみました
こんにちは!
突然、謎に怒られることってないでしょうか。
ワクチン受けたと言えば、「ワクチン推進派なんですか」と怒られ、副作用について書けば、「ワクチンに反対するのか!」と言われる。中国についてちょっと褒めると石が飛んでくるし、貶せば「中国をわかってない」と言われる。
謎の「敵か、味方か」を迫られるケースが割とあります。
Twitterにも、現実社会にも、一定の確率で「主張について戦うことを、至上命題にする人たち」がいます。
「まーどっちでもええやん……」みたいノンポリは、「少しは考えろ!」と怒られます。
ジェンダー、職業、住む場所、学問ーーあらゆる世界に争いがあります。中には同じメンバーで長年、罵倒合戦やってる人たちもいて、もはや彼らにしかわからない用語が飛び交ってる。
あるいは、自身が当事者になり、来る日も来る日も「勝つため」の材料を探して奔走してしまうかもしれません。
今日はそんな戦いについて考えてみます。
「戦い」は延々に終わらないのです
19世紀には、当時の音楽界を2分した「ブラームス派 VS. ワーグナー派」の戦いがありました。
要するに純音楽派(ブラームス)の人と、交響詩や歌劇などの音楽(ワーグナー)の派閥でどっちが上かを争ったのです。評論家のハンスリックが焚き付けて、音楽界を巻き込んだ大論争になったのです。
ここから先は
1,151字
これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。