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ドラマがいっぱいの人生①〜健康じゃないという贈り物〜

私は6歳の時に『紫斑病性慢性腎炎』になった。一応難病指定にはなってるらしいけど、そんな事は私にとってはどうでも良かったりする。
だって病気と私は、辛さや寂しさ、家族の苦しみや、命の重さ、諦めや未達成、色んな涙を流してきた数と、それ以上に、神様との繋がりを何度も感じてきたものだから。

「私なら乗り越えられる」
「神様から与えられた試練だもの」
「超えられないものは与えられない」

いつの間にか私は、そうやって自分自身を信じることができるようになった。

病気という物語。私の人生にとって無くてはならないもの✨

私は小学校一年生、初めての給食が始まるその日(カレーだったらしい)、入院をした。

入院と決まって、母が台所で、一人でこっそり泣いていた情景とか、
姉が大事なちっちゃい色鉛筆をくれた事とか、
いまでもよく覚えている。

面会時間が終わるのも、平気なふりして、「あとちょっとか…」って寂しかったり。

消灯後に薄暗い病院の廊下を歩いて、家に電話をかけた事も覚えてる。
沢山泣いて、弱音を吐いて、それでも電話を切って、また暗い廊下を一人で戻る。

注射がすっっっごく下手くそな女医さん「めぐちゃん」が注射をしに来ると、
いつもは注射で泣いたりなんかしないけど、「嫌だ〜〜!!」って大暴れもしたな。
(だって針を腕に刺した後、「あれ?あれ?」って言いながら、グリグリ動かすんだもん笑)

点滴のチューブが取れたことがあって、血が逆流して、一瞬にして白いベッドが血の海になった事も忘れられないw

私はね、入院中、私の人生の中で一番大切なことを教えてもらったの。
それは、『笑顔でいること。』

病院の小児科には私より小さい赤ちゃんから、中高生のお兄ちゃんお姉ちゃんもいた。

皆、私なんかよりずっとずっと重い病気を抱えていたけど、すっごく明るくて面白くて、いつも病室の窓辺に集まって大笑いしてるの。

優しくて、思いやりがあって、寂しさを理解してくれて、勇気付けてくれて。6歳の私にとって、とても憧れの存在で大好きだった✨

赤ちゃんや幼稚園くらいの小さい男の子もそう。みんなのニコニコした笑顔を私はいつも思い出すの。

でもね、笑顔が輝いていたそのお兄ちゃん達や赤ちゃん達。多分ねほとんどみーんな死んじゃったの。

私は退院した後だから詳しいことはわからないけど。外来に行った時に、たまたま聞いたりして。

そんな日の夜は、入院中の思い出と一緒に母といっぱい泣いたりもした。

小学低学年で、ここまで命と向き合う事って、なかなか無い体験でしょう。

私にとって笑顔でいる事って、
沢山の悲しみを受け止めてきた、乗り越えてきた、勇敢な証なの✨

「それでも笑って生きる」

私はそう言う生き方をこれからもしていきたい✨

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