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短編小説「春と罰」
シロップのような白い日差しが、舞った桜の花びらにふりかかっている。ゆらりと散る花びらは雪のようで、地面を白色で満たす。
あの日もそうだった。
教室の窓から空を見ていて、今日は春日和だと思った。午後からは異常に気温が上がるらしい。
「晴ちゃん。学校終わったらお城に花見に行こう」
後ろから声が通り抜けて、びくんと背中が跳ね上がった。私は友達の空ちゃんの声がしたと思った。しかしそこにはクラスメイトの石崎花の姿があり、私は必死に愛想笑いをつくった。
空ちゃんの声がするはずはなかった。彼女は小六の春に不登校になってから一度も顔を合わせていないのだから。
「晴ちゃんは違うと思ってた」
違うよ。
「晴ちゃんだけは味方だと思っていた」
……そうだよ。
暗い空間に幾度も空ちゃんの顔が浮かんでは消えていく。立派な桜の髪飾りをつけた彼女の目には涙の膜が張っていて、可愛らしい顔が可哀そうな顔になっている。
でも空ちゃん、もうよくない?
そう言う私の頭の中には、中学一年生の教室での姿が映る。移動教室のとき、みんなの喧騒を後ろに教室を出て一人で廊下を歩く。休み時間、机から離れないでシャーペンを滑らせて宿題をしているふりをする。昼休み、誰ともしゃべらずお弁当のご飯を箸ではさむ。
もう充分苦しんだでしょ。
私は遊びに誘ってきた石崎花に向かって、いいよと言い、制服の袖がきついと思いながら、後頭部の髪を掻いた。
もうそろそろ、楽に生きてもいいでしょ。
ねえ、空ちゃん。
ラインを交換して、家まで歩いていた。誰かと遊ぶのは久しぶりで足がせかせかと進む。償うという決断を下して孤独に生きることを選んだのは自分だったけど、私は人と仲良くなりたいし、なれないわけではない。石崎花はカースト的に二軍あたりの位置にいるから、本当に仲良くなりたい人間にしか話しかけない。一軍でないかぎり、いじめの線である可能性は少ない。
私は辛い一年間を代償に、これから楽しい学校生活を送るんだ。いいでしょ? それに、もう二年も前の話なんだから。
納得させるために私は自分に言い聞かせた。新しく買った学校指定の運動靴がもう汚れていた。言い訳が頭の中で半数するたびに靴がずれて踵が痛痒くなる。
空ちゃんが不登校になった原因はいじめだった。そのいじめの加害者には私も含まれていた。加害者として先生に呼び出され、本人に直接謝まるまでに至ったのは私を含めて四人いた。その中で他の三人と違ったことは、私と空ちゃんが仲が良いということだった。
私は彼女とお揃いで買った猫のマスコットがついたシャーペンを床に叩きつけて、それを思い切って踏んだ。一緒にいじめてた子の笑い声がして、目を開けると空ちゃんはこの世に希望なんてないような顔をして私の顔だけを見ていた。
その時もクラスが変わった春の時期だった。空が晴れていたかどうかは思い出せない。もう少しすれば、あの子の家が見える。あの子が不登校になってから学校からのお便りを届けたときの呼び鈴が懐かしい。私がいじめの加害者の一人だと判明したのはそれより後だったから、先生はそれを知った時どんな顔をしたのだろう。
曲がり角近くで、ふと前の方から声が聞こえたかと思い顔を上げると、私が提げているのと同じ鞄が目に入った。一人の小柄な女子生徒を囲んで他の三人がへらへらと笑みをみせている。いじめだとわかった私は息をひそめて、歩くスピードを緩めた。三人の影の隙間から、女子生徒のセミロングについた桜の飾りが覗いた。途端私の胸はびくりと跳ね上がった。
鞄に刺繍された校章の色でわかる。あれは一つ下の生徒だ。そして目を疑うまでもなくあの桜の髪飾りは、空ちゃんのものだった。空ちゃんには一つ下の妹、天音ちゃんがいた。今三人に囲まれて冷笑されている女子生徒は空ちゃんの妹、天音ちゃんということだ。
彼女たちの中心的人物が、桜の木の下に走り出した。木の根元に散った花弁を手に掬って、くすくす笑っている。彼女は天音ちゃんに近寄って、「そんなに桜が好きならこれでも乗せれば」と花弁を頭から被せた。それを見て叩きつけたシャーペンにひびが入る映像が浮かぶ。その時のこの世に希望を失った顔のまま、頭から消しカスを被せられるあの子に手を伸ばした。
「空ちゃん!」
肩から息を吸う私の姿に、いじめっ子たちはみんな同じく不審がるような目を向けた。狼狽えてどもりがちな声が漏れると、「何?」と一人が言い、ひそひそといじめっ子たちがざわめいた。そんな中、天音ちゃんは怯えた顔のままわなわなと身震いをしてこちらを見つめている。
きっと姉の名前を聞いて、その顔を思い出しているのかもしれない。
「逃げないでよ」と頭の中で響いた空ちゃんの声が耳に突き刺さる。いつの間にか前かがみになっていた私は顔を上げた。怜悧な視線に耐え切れなくなった私は空ちゃんを無視して、「な、なんでもないです」と帰路と反対方向に足を飛ばそうとした。
いじめっ子たちが野次馬面で顔を合わせる中、視界の端にこの世の色が見えなくなったような一人の女の子の瞳孔が映る。
「晴ちゃんは、違うと思ってたのに」
私は足を止めていた。
桜の花が舞っている。青い空から降る日差しが体のどこを突き抜けようとも、暖かさなど感じなかった。
渋滞して波のようになった記憶の束が頭の中を蹂躙していく。
そっか空ちゃん。私はもう許されなんかしないよね。
いじめっ子の中心人物が再び「何?」と声を上げる。私は拳を握ってそいつの頭に振りかざした。他が騒ぐ中、私は壊れた人形のようにぎこちなく握り締めた拳を振りかざしていた。横であの子がわなわなと顔を歪めて、顔も伏せずに泣き出した。
そうでしょ空ちゃん、これが罰なんだね。
どうなるかはわからない。これで罪を償えるかなんて知ったこっちゃない。それでもぼやけた視界に映った空は残酷なほどに綺麗だと思った。