39年前の雪の夜、ブリティッシュ・レゲエを聴いた
東京でも今日(2023.02.10.)は、朝から雪が降るとの予報で、午前には大きな粒が降ったが、それからは雨になった。
空気は冷たく、寒い。
東北、北陸、あらゆる地域の人たちに被害が及ばないように、祈ることしかできない。
せめて、これから雪が積もったら、家の周りぐらいは雪を掻こうと、シャベルを用意しておいた。
今から39年も前の1984年1月、日にちは忘れてしまったが、平日だったその日の夜は、たしか数日前から雪が断続的に降り積もっていたと思うが、旧・日本青年館でスティール・パルスのライヴが催された。
その頃、日本青年館では来日したミュージシャンのライヴがよく行われていて、「あの」キンクスの唯一の日本公演も、高校生のとき、ここで観た。
日本青年館は信濃町駅から歩いて15分ほどだったか、数日に亘って、みっしりと積もった雪で、他に歩いている人は殆ど無い中、絵画館の前を通って、会場に辿り着いた時には体が暑くなっていたのをよく憶えている。
スティール・パルスは、ブリティッシュ・レゲエの筆頭格と言っていいバンドだろう。
2019年にもアルバムをリリースしているので、今も活動しているようなのが嬉しい。
ブリティッシュ・レゲエとは、ジャマイカではなく、イギリスのミュージシャンたちがつくったレゲエだ。
ジャマイカのレゲエよりも、リズムや低音が強いし、音質は硬くて、曲のハードさ、ソリッドさが大きな特徴だろう。
代表的なバンドとしては、アスワド、バーニング・スピアを挙げて良いと思うし、リントン・クウェシ・ジョンソンも忘れてはいけない。
その中でもスティール・パルスは、1978年のアルバム一作目「Handsworth Revolution」(平等の権利)から評価が高かったし、リスナーに人気もあったらしい。
「らしい」と言うのは、私が聴いたのは二枚目の「Tribute to The Martyrs」(殉教者に捧ぐ)のFM放送が初めてだったから。
同時期に新譜だった、ボブ・マーリーの「Survival」と合わせて、ラジオで紹介されて、この番組を録ったテープをどれほど聴いたことか。
この経験は確実に、現在も続いている私のレゲエ愛聴の最初のベースになったのは間違いない。
私はその後、仕事をし始め、一人でライヴに行くことができるようになった時期に、スティール・パルスが来日してくれた。
行かない訳にはいかない。
日本公演は恐らく、この一日だけではなかったろうか。
会場は、今の目からすれば「大人しい」レゲエファンで満杯。
そしてバンドのパフォーマンスは、これが凄かった。
ブリティッシュ・レゲエは総じて、テンポの速い曲が多いのだが、中でもスティール・パルスは速い、ライヴになると、さらに速い。
しかし、演奏力が控えめに言っても高いので、ダラダラしたり、雑になるパートもなく、観衆も「縦ノリしかできない」ほどに、集中して続いていった。
そして特筆すべきは、ライヴでのダブ表現。
ダブ・サウンドは、録音した音源の中の音ひとつずつを「取り出し」て、リバーブやエコーをかけたり、テンポを変える、ボリュームを上げ下げしたもの。
これがライヴで再現されると、例えば、ギターは、レゲエの一定したカッティングから、ループエコーのようにリズムを変え、音量は徐々に絞られていく、といった具合。
このダブ・サウンドは、全体にリズムの速い彼らのライヴにおいては、幻惑するようなアクセントになっていた。
演奏された曲は、来日当時の新譜、彼らの5枚目のアルバム「Earth Crisis」(アース・クライシス)とその前の「True Democracy」(デモクラシーとはなんだ!)の収録曲が中心で、特に「アース」からの曲は多彩な曲調で、ライヴでも目立っていた。
ライヴが進むに連れ、場内は盛り上がっていったが、クライマックスは当時の代表曲「Ku Klux Klan」(クークラックスクラン)でピークを迎えた。
(KKKの白装束も登場して、舞台を跳び歩いていた。)
たぶん、全体で2時間あったかどうか、という公演だったが、私には充分に強烈な体験だった。
雪とレゲエ、なぞは不似合いなのだろうが、あの時のライヴ会場にいた者としては、今でも生々しい体験なのです。
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