第830話 『地震のその後と内憂外患』
慶長元年九月一日(1596/10/22)大日本国仮設政庁 災害復興会議
地震の被害状況で言えば、発生から2か月弱しかたっていなかったが、天正地震に比べると雲泥の差があった。天正地震の際にも対策は実施されていたが、完成度が違った。
畳三畳分の巨大な地図が広げられた政庁の広間に、松明の炎がゆらめく。壁面には各地から届いた被害状況を示す朱筆の注進状が貼り巡らされ、墨の匂いが鼻を刺す。
鉛筆は普及していたが、赤鉛筆はまだだ。
「関白殿下のおなーりー」
小姓のかけ声で入ってくるなり純正が言った。
「臭っ! 襖ふすまを開けよ、換気しろ」
「はっ」
臭いもそうだが、空気が淀よどむと良くない。定期的に換気が必要だ。
「被災三カ国の復旧進捗は七割にございます」
肥前国国交大臣の遠藤千右衛門が報告書に記された数値を指差した。ソロバンを構えた役人たちの手元から、珠たまの触れ合う音が規則的に響く。3か国とは豊後・伊予・山城である。
被災地での仮設住宅の設置と衣食住の提供度合いが七割であり、その他は避難所住まいであった。
「特に鉄筋こんくりいとによる建物の災いは木造の三割の倒壊に留まり、かねてから殿下の仰せのこと、証し申した」
この発言は大日本国国交大臣の畠山義慶だ。
「よしっ」
純正の父親で都市計画・災害対策の責任者となっていた沢森政種が、誰にもわからないようにガッツポーズをした。
「天正の震災時と比べ、死者数は半減。路地拡張の効果も顕著じゃ」
瓦礫がれきに阻まれた避難経路が少なかった点が火災拡大を防いだ、との報告が多かった。豊後と伊予の地震に関しては、すでに純正や関係省庁のトップがいなくても問題ない。
そのため地震の統括本部を大日本国の政庁内に設け、復旧作業に取り組んでいたのだ。
政庁は鉄筋コンクリートで新たに建造されており、被害が少なかった。
・全体的な被害は軽微である。造建築に比べて耐震性が高く、倒壊を免れた。
・地震の揺れにより壁面に亀裂が入ったが、構造的な損傷には至らなかった。
・2階の一部に損傷が生じたが、床板の部分的な陥没や梁接合部の破断など。
・地盤との相互作用により、基礎に軽微な損傷や沈下が生じた。
・天井材や内装材、設備機器などの非構造部材に被害が生じた。
・周辺の木造建築が大きな被害を受ける中、政庁建物は構造的な健全性を保っている。
その他にも多数の鉄筋コンクリート建造物があったが、同様に木造に比べて被害が少なかった。さすがにすべての家屋を鉄筋コンクリートにするには金も時間も足りなかったが、それでも有効性は立証できたのだ。
政府系の建物や公共施設は鉄筋コンクリート化されていたが、すべてを変えてしまえば美観もなにもない。そのため木造建築でも数種類の構造を実験していた。
今後の復旧対策に役立つだろう。
「その他の被害状況と復旧状況はいかがだ?」
純正の問いに対して各所から声があがる。
街道の拡幅や鉄筋コンクリートの活用など、地震対策は現代にはほど遠いが、当時としては最先端の成果だったといえるだろう。
「皆、これからが正念場であるぞ、大変ではあるが休息をとりつつ、しかと頼む」
「ははっ」
■肥前国(肥前州)庁舎
京都にあった肥前国庁舎は鉄筋コンクリートに建て替えが済んでいたが、奇跡的に御所と政庁は被害を免れていた。伏見城は建造されていないので圧死者はいない。
古くからある京都の町並みを壊すことに関しては賛否両論であったが、天正地震の事例をふまえ、区画整理に踏み切った。そこで最低でも道幅を四間半(約8メートル)以上としたのだ。
やはり事前の準備は必要であった。
「申し上げます! 駐肥前国朝鮮大使、姜弘立きょうこうりつ様がお見えです」
朝鮮の使者が諫早からやってきたのだ。
「なに? 朝鮮から? 通すが良い」
姜弘立の表情には緊張感が漂っていた。
「関白殿下、この度の大地震、誠に痛ましき出来事でございました。諫早においてこの惨事を知り、亡くなった方や被災者の方々にお見舞いを申し上げます」
「うむ、ありがたく頂戴いたすとしよう。……して、こたびは何用にござろうか」
「はい、実は……」
地震の復興中のことである。姜は言いにくそうだったが、純正の問いに応えるべく話しだした。
「実は……。満州国軍が豆満江トゥマンガンを下りながら要所要所に砦とりでを築き、海まで進み出でてきたのでございます」
「なんですと! ?」
純正より先に声を上げたのは海軍大臣の長崎純景である。海軍副大臣の九鬼守隆と物資の海路移送を協議していたのだ。
ウラジオストクまでの沿海州は、純正とヌルハチとの協議により領有化している。
しかし厳密にはその南の豆満江流域までは空白のエリアだったのである。
「もとより人口も少なく、襲われた実害もありません。しかし付近の領民からは、いつ女真が攻めてくるか不安だと多数の知らせが入っております」
姜弘立はありのままを報告した。
「朝鮮軍はいかがした? わが国の駐朝鮮軍もいるであろう?」
「はい、すぐに協議をし、川沿いの村々に部隊を派遣して監視するよう命じております。しかしながら朝鮮は殿下擁する肥前国に冊封されております。勝手に戦火を交えることは許されません。そのため今後どうされるのか、まずはご報告した次第です」
純正は姜弘立の報告を聞き、深く考え込んだ。
東アジアの勢力図が急速に変化している状況下で、この事態は予想外の展開であった。女真の統一までまだ時間がかかるだろうと予測していたが、統一するまえに既成事実をつくろうと、南下してきたのだろう。
「なるほど。ヌルハチとの協定……そこまではなされておらなかったからな」
「ヌルハチ本人の意図かどうかは不明ですが、彼の配下の者たちが独断で動いている可能性もございます」
長崎純景が口を開く。
「殿下、いずれにしても早急に海軍を派遣し、豆満江河口の状況を確認すべきかと存じます」
「うむ、同時に、ヌルハチへ使者を送ろう。朝鮮側も実害がないのであれば文句も言えぬであろうし、こちらも条約に記しておらぬものを、事を荒立てることはできぬでな」
純正はうなずき、決断を下した。
「よかろう。海軍は即刻、豆満江河口へ向かえ。可及的速やかにウラジオストクまでの占領計画を立案し、海兵隊と陸軍を乗せて必要な拠点を確立するのだ」
「ははっ」
純景はただちに佐世保の第1艦隊と越中岩瀬の第3艦隊に命じて出港準備をさせた。
次回予告 第831話 『豆満江からウラジオストク』