権利と義務はセットなのか?
権利と義務がセットとなる場合
「権利」という言葉が嫌いな人が、権利を主張する人に対して使う常套句が「義務も果たしてないくせに権利を主張するな」というものです。なるほど、権利の対義語は義務なので、そう言われると正しいような気もしてきます。でも何か引っかかりませんか?
対等な立場で契約を結んだのであれば、そこには「権利」と「義務」が発生します。例えば労働契約(実態はともかく、法的には対等)。
「何時から何時まで働き、賃金はいくら」という契約を結んでいるので、労働者には働く義務と賃金を受け取る権利が、経営者には働いてもらう権利と賃金を支払う義務が生じます。
権利と義務はセットではない
しかし人権に関して言えば、そもそも立場が対等ではないから生じる問題なのであって、そこで「権利が欲しいなら義務を果たせ」というのは「現状を受け入れろ」ということでしかありません。
例えば、自由を求めた奴隷が、「奴隷としての義務も果たしていないのに権利を主張するな」と言われ、「なるほど、自由という権利を手にするには、まず奴隷としての義務を果たさねばならないのだ」と納得していたら、永遠に奴隷身分から解放されることはありません。
人権問題に関して「権利」と「義務」はセットではありません。そもそも不当に制限されている権利を取り戻すために、先人たちが声を上げ続けてきた事実(今は当たり前の権利でも、最初に声を上げた人たちは例外なく誹謗中傷を受けています)の積み重ねが人権獲得の歴史です。
足をどけよう
自分の足を踏んでいる相手に対して「その足をどけてください」と言ったとき、「足をどけてほしいなら、まず義務を果たすべきだ」と言われたらモヤッとしますよね。
私たち自身も己を振り返れば、踏まれていることも、踏んでいることもあるはずです。自分の過ちを認めるのは勇気がいることですが、人権問題を改善していくためには、まず1人1人が人権侵害の事実を認識することが大切です。
そして
・自分が踏まれていたら、「足をどけてください」と言う。
・自分が踏んでいる側にいたなら「すみません」と言って足をどける。
・誰かが踏まれていたら、踏んでいる人に「他人の足を踏んでいますよ」と指摘する。
とても勇気のいることですが、世の中にある様々な人権課題に「気づき、考え、行動する」ことのできる生徒を育てるために、人権教育が必要とされているのです。
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