拉致問題について。
2019年 蓮池薫さんの講演を聞いて
話はまず、いまだ帰国できない拉致被害者の方々への思いから。根拠をあげながら明確に死亡説を否定していて、「なるほど、そうなのか」と思わせられるものでした。
そもそも拉致の目的は何か。他国(日本に限らず)の人間をさらってきて洗脳し、スパイにすることだったそうです。普通に考えれば、「そんなことできるはずない」のですが、独裁国家ではそういった愚かな政策がまかり通ってしまうのです(誰が見ても「愚かだなぁ」と思う政策がまかりとおる。最近の日本もそんな感じです)。蓮池さんも最初は抵抗していたそうですが、身の危険を感じ、表面上は従うようにしたそうです。
そんな中、拉致されたレバノン人女性が、従順なスパイになったフリをして逃げ出すことに成功します。これによってで北も「人間は簡単に洗脳できない」と気づき、拉致被害者への対応を変化させます。結婚と多少の自由が認められ、朝鮮人工作員への日本語教育係になったそうです。
そして1987年、大韓航空爆破事件。金賢姫が日本人拉致被害者から日本語教育を受けていたことが明るみに出て、北は日本語教育をやめます。工作員に日本語を教えると、拉致の事実がバレると思ったようです。信じられないほど稚拙な国家意思決定ですね。
その後、蓮池さんは日本の新聞や雑誌を翻訳する仕事をするようになります。黒塗りで届けられるので、読みたい部分は中々読めなかったそうですが、ときどき塗り忘れられた部分があって、日本で拉致被害者家族会が結成されたことを知ります。
1990年、ゴルバチョフのペレストロイカによって、ソ連と韓国が国交を結び、中国も韓国との関係改善に動いたため北朝鮮の立ち位置が変化。北は日本・アメリカに接近します。しかし日本が初めて拉致問題に言及し、北が否定したことで、日朝国交樹立は挫折。その後、北は大飢饉に見舞われ国民の1割が餓死(7割が栄養失調)。
北は金正日が最高指導者、南は金大中が大統領となったことで南北対話が進展。続いて金正日は日本との国交樹立を目指します。目的はお金。ここでようやく北は拉致を認めました。
そして2002年、蓮池さん帰国。子どもを人質として取られていたため、蓮池さんは北へ戻ろうとしますが、お兄さん(蓮池透さん)の必死の説得によって日本にとどまり、1年半後に子どもを取り返したそうです。
歴史のダイナミズムと国家のエゴに翻弄されたすさまじい人生です。愚かな為政者の、身勝手で稚拙なやり方に憤りを覚えますが、蓮池さんは「北朝鮮の一般の人々は、家族の幸せを願う普通の人々です」と話し、我々一般国民が他国(今は北朝鮮より嫌韓が煽られてますね)を嫌ったり、蔑んだりすることはやめてほしいと語っていました。
そんな蓮池さんが心を砕いているのは、今も北朝鮮に残されている拉致被害者たちのこと。日本人が拉致問題を忘れ、声を上げなくなることが何よりも恐ろしいと話していました。
私たちは、学び、考え、伝えなければならない。