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映画「さよならテレビ」を見て感じた居心地の悪さはなんだったのか

もう1週間以上前になりますが東海テレビさんが作った映画さよならテレビを見てきました。映画自体の内容はほぼ知らず、なんかドキュメンタリーらしいよぐらいの認識でしたが、Twitter等のSNSでなんか面白いらしいよと映画通の人たちが言ってるからミーハー根性で見に行ってみました。書いといてアレですがネタバレ有りで話すので近くでやっていたら情報無しで見に行ってみてほしいです。伊集院光さんやビビる大木さん、ベースボールベアーボーカル小出祐介氏、いろんなTV関係の人など業界内外とわず見ているみたいですよ(感想検索してたら色々ヒットした)

内容としては普段撮っている側の私達TV局側にカメラを向けて、ドキュメンタリーを撮ってみようというものでした。と、書くとすごいふわっとしたものに見えます。実際局員の中にも「それでどういうものにしたいの?」との意見が出ます。終いには常にカメラが出ている状況に苛立ちもでき、「やめろよ!」「撮るな!」などの怒号も聞こえてきます。最終的には許可をとったときだけカメラを回す、机の下にマイクを置いて録音するのをやめるなどの処置がでました。僕も流石にいつもカメラ回してるのはどうだろうなと思いながら見つつも、でもそれって民間の人を対象にした普通のドキュメンタリー撮る時はテレビ側していることだよな…といった考えもよぎります。またこの「どういうものにしたい」というのも一つの伏線だったのですがそれはまた後述します。

当初は東海テレビ局員に焦点を当てていくのかなと思っていたのですが、話が進むにつれて3人のスタッフに焦点が絞られているのがわかりました。一人はニュースキャスター、一人は派遣採用のたよりなさげな新人君、一人はテレビ側が企業から持ちかけられた記事(PR記事みたいなもの)を書くこともある雇われ記者。厳密に言うと東海テレビ正社員というよりは外部から入ってきた人たちでした。
三者三様の視点で見られる、一人はある重大なミスに巻き込まれてタイミング悪く当事者になってしまった方、僕自身もその内容が出るまで忘れてましたが出されたらそんなこともあったなー!なんて他人行儀な感想が浮かびましたが当事者の彼はそのことで何年も悩み、そのせいでミスをしたくない、できない、悪く言えばアドリブや咄嗟の発言に怯えてできない様になっていました。
一人は派遣で来たのはいいものの、1年で結果出さないと首切られる状況であり、それでもミスを繰り返しながらも気まずそうに笑いながら、あの日憧れのアイドルの握手会で話した君たちの番組を作りたいというおぼろげな夢を抱えつつ(アイドルは営業スマイルで頑張ってねーという)、今日もミスをしながら仕事をしていく。
一人は過去に上司にいじめられる仲間を助けるために物申し退職して、次は自分で新聞や雑誌を作ろうとするけど半年ぐらいで業績が出ず止む無く廃刊、今は雇われで記事を書いているけど心のなかでは今も熱いジャーナリズムをもっている(確か言ってたのが)年収300万くらいの50代。

上記の3人を軸にテレビの内部、テレビマンの苦悩といったものを描き、3人とも色々ありつつも最後にはそれぞれの答えを見つけ、前向きに生きていく…ような雰囲気でエンディングを迎えそうになります。が、そこで雇われ記者の澤村さんがラスト直前でカメラを向け続けていた監督、ひじ方氏に問います。

「現実ってなんでしょうね?このドキュメンタリーにとって。これまでのテレビの枠内に収まりきってるんじゃないかって。そんなぬるい結末でいいんですか?テレビが抱える闇って、もっと深いんじゃないんですか?」

ここで監督のひじ方氏は勿論、今までこの映画を見ていた私達も戸惑います。えっ?このままハッピーエンド(てわけでもないけど)でみんな頑張っていこうねーみたいな終わりじゃないのって。結局明確な答えはでないままもやもやとした感情のまま映画はエンドロールを迎えます。

悶々としつつもなにか答えを見つけたくて、パンフ買ったり、色々他の人の感想や監督、プロデューサーがインタビューされてる記事とかも見ました。そして結局の所テレビと名題されてますがこの映画は他の業種、もっといえばサラリーで生活している人間にすごく響く内容だったのかなと思います。劇中で報道とは弱者を守るために必要なんだといいつつ派遣採用の人には容赦なく首切りを行う、働き方改革!みんな定時で帰れる世界をとニュースで言いつつ局内では上部がとりあえず労基に見つかるとやばいから帰れ、でも視聴率落としたりスケジュール守れないのはだめだと言われ困惑する現場、庶民の立場に立った、より良い報道、権力への監視を目指しているのに結局出世するためにはそれらに目を背けて上が喜ぶ結果、数字アップをめざした仕事を目指す、目指した人だけが上に残っていき弱い心を知らない、捨てた人しか出世できない世界。局内での常識と世間の常識とのズレ。業種は違えど自分にも似たような経験がある場面がいくつもあり、それがテレビの様子を見にきたはずが自分を見せつけられてるような気持ちになり、そこが居心地の悪さにつながっていたんだなと思いました。

しかし、僕らだって辛いんですテレビマンも苦労してるんですって終わるわけでもないのが終わりの現実ってなんでしょうね?って言葉で。結局はカメラが回っているから隠している感情があったり、むしろ爆発してしまった感情もあるはずで。そして編集されて上映(放送)されているのだから最終的には放送する側のどういう結末にするか、演出を見せて視聴者へのメッセージにするかという思惑も入っているから、見ただけでのものを全て信用するとそれはまた違う。撮り始めた時の「どういうものにしたい」という局内での意見はドキュメンタリーと言えど結末ありきの言葉だった。テレビとしての考えではそうでも、実際みてる側は本当のことを知りたいからそう言われてしまうと全部ウソだったのか、誘導されていただけなのかと困惑してしまうわけです。

この2つの「サラリーマンとしての理想と現実の板挟み」「テレビ側と視聴者側という提供側と受けての考え方の違い」、これらがぐちゃぐちゃに絡み合ってうまく消化できないのが見て1週間も立つのに未だに自分の中で悶々としている理由の一部だと思います。

さよならテレビという題ではあり、テレビの暗部を映し出した映画ではありますが、決して他人事ではなく自分の中でのさよなら〇〇があると思います。そして自分たちとは違う世界での生き方を見て驚くこともあります。しかし知ったからにはなかったことにせず、今までの自分の考え、安易に同意も否定もせず考え抜いて過去の自分の考えからさよならしないといけないと言うことを伝えたかったのかもしれません。本当はぜんぜん違うことを制作陣は考えてるのかもしれませんがそれでもいいです。いろんな感想があるのがいい作品の一つだと思いますから。

最後にこんな自分たちを晒しだすような、言ってしまえば恥ずかしい、隠しておきたいような作品にGOサインを送り世に出してくれた監督、プロデューサー、制作スタッフ、出演されていたみなさん、東海テレビさんに感謝。いいもの見せてもらいました。ありがとうございました。


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