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【きょうだい児との語り】知的障害のある兄弟について同じ話ができて安心したお話

みなさんはどこまで友達にプライベートな話をしますか?

私は友達が少ないこともあり、限られた友達に結構プライベートなことを話したりもします。

学生時代から社会人になっても仲良い人は私の兄が知的障害者であることを知っています。

今回は唯一知的障害を持つ兄がいることを知っていて、そして深い話をしたことがある友達との話をします。


兄を知っている友達

私の兄が知的障害者であることを知っている人もほんと数人ですが、知っているだけですごく詳しくは話したり相談したりはしたことがありません。

遠慮というよりは話しても共感するのも難しいですし、あんまり話が通じないよなーって思うからです。

そんな中で唯一、友達としてきょうだい児の話をできる友達がいます。

ただ、この友達とも学生時代はそんなに深い話はしませんでした。

なぜ話さなかったのかを考えると難しいのですが、その友達は自分がきょうだい児であるという感覚はあんまりなく、そんなに悩んでいたなかったように見えたので私が温度感が違うなと思ったからです。

今回は大人になって久しぶりに会ったこの友達と深い話まではいかないまでもきょうだい児としての悩みを話すことができました。


きょうだい児と語る未来

前提としてこの友達は、3人兄弟の1番上の姉さん。

真ん中の弟が知的障害を持っていて1番下の弟は健常者です。

ただ、知的障害の具合でいうと私の兄より軽い感じです。

この友達と何を話したのかというと、障害を持つ兄弟の今後のことです。

私の兄は施設に入ってしますが、今後は出て違う施設やグループホームを探さないといけない状態です。

友達の弟は、実家で母親と2人暮らしでいるそうですが母親がグループホームに知的障害の弟を入所させたいようです。

お互い障害を持った兄弟が今後の生活のために施設を探しているという共通の話題がありました。

こういった話をする中で、将来自分が障害を持った兄弟の面倒を見るのはできないから、やっぱり親が面倒を見れなくなった後でも安心して生活できる場所に親が元気なうちに入れてくれるといいよねという会話になっていきました。

会話の詳細はここには書きませんが、自分の将来を考えた際に障害を持つ兄弟のことが出てくることが当たり前であるんだと感じました。


きょうだい児でない人が将来のことを考えた際にどれだけの人が自分の兄弟のことを考えることがあるでしょか。

私はきょうだい児であるため、わかりませんがそう多くないと多います。

お互いが自立した兄弟である以上、それぞれの生活の形がありそこに大きく関与することはないと思うからです。

そういった意味では、きょうだい児の将来の生活にはどうしても自立をすることが難しい兄弟の関与が大きくなったしまっているのかなと思いました。

きょうだい児と話してみて

別にずっとお互いの障害を持つ兄弟の話をしていて訳ではありません。

ほんの数分しか話していませんが、どこか似ている境遇があり同じことを考えているんだなと感じることができて、何処かホッとしました。

自分だけではないという感覚を久しぶりに感じることができたからだと思います。

もちろん、きょうだい児だから同じことを考えていて同じ境遇でという訳ではないですがやっぱりどこか似ていることを心配したり不安に思っているのかなと思いました。

自分の兄弟のことを気にすることなく、気兼ねなく話せることはとってもいい機会だなと感じました。

1人で考えていても何処か寂しく、自分だけがなんで辛いことや不安なことが多いのかという気持ちになってしまいますが、話すことで1人ではないんだと気づくことができました。

こういった機会は滅多にないですが、今回いい時間を過ごすことができました。

最後に

今回、きょうだい児と会話したことによる気づきを書いてきました。

友達でありかつきょうだい児である人は私の周りにはほとんどいません。

そんな1人の友達と、しかも似ている話題がありお話できたことはとっても有意義な時間でした。

同じような境遇の人々が集まれるコミュニティに行ってみようかなとも思えたのでこの機会を大切に調べてみたいと思います。


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