【障害児の兄の後に母が私を産んだわけ】改めて母が強いと感じたお話
子供を産むにはそれなりの覚悟がいることだと思います。
私は出産を経験したことはありません。
将来、出産をするかしないかわかりませんが、漠然とした不安があります。
日本は医療も進んでおり、出産の安全性はとても高いと思いますが
出産には諸々のリスクが伴っていることも事実かと思います。
無事に産まれてきてくれても、障害をもって産まれてくるといこともあるかと思います。
今回は、母が知的障害の兄の後に私を産んだ理由について書いていきたいと思います。
第一子の兄
母は第一子として兄を出産し、幼い頃にはすでに知的障害があることが判明しました。
そもそも、父は大家族に憧れていたようで、何人も子供が欲しかったそうです。
でも、第一子の兄が知的障害ということもあり、大家族の夢は諦めたのかなと思っています。
それも当たり前かなと思います。
普通の子育てももちろんとても大変だと思いますが、知的障害があればより大変になるでしょう。
また、母の母(私からみたらおばあちゃん)には
兄が知的障害とわかったときに、うちにはそんな子供が生まれてくるはずがないと言われたそうです。
誰も産まれる前からは障害児が欲しいとは思わないでしょう。
だからこそ、障害児が悪いわけでなありませんが産まれてきて障害児とわかれば、それを受け入れることが一番大変なのは母親だと思います。
そんな状況の中で、周りからもそんな子供は生まれてくるわけがないと言われながらも、障害児であることを受け入れ、子育てを続けていたことはとてもすごいことだと思います。
8年後に出産を決意したわけ
そんな兄を育てる中で、なぜ8年後に私を産もうと思ったのでしょうか。
歳の差の兄弟は、ちらほらいるかと思いますがそんなに多いものではないいと思います。
年が離れるということは、親自身も歳をとっていて妊娠のリスクはさらに高まります。
それに、第一子が知的障害を持って生まれてきたということを加味すれば第二子だって同じように障害を持って生まれてくる可能性はあると考えるでしょう。
それなのに、私を産むことを決断したのです。
その理由は、兄にはきょうだいがいた方がいいと周りの人に勧められたからと、以前母から聞いたことがあります。
そのほかにも、理由があるのかもしれませんがおそらくこれが大きな理由の1つなのでしょう。
そして最近、母は私を産むことは「賭けだった」と話してくれました。
障害を持って生まれてくるリスクもあることを考えながらも
「それでもいい、障害があっても育てる」ということを思って産んだそうです。
結果として、私は障害をもって産まれてきませんでしたがすごい決断だなと思います。
私のおもい
私はこれまで、両親が私を産んだ理由は
「将来、兄の面倒を見る人が欲しいから」だと勝手に考えていました。
直接的には言われたことはありませんし
事実上将来は、兄の面倒を少しは見ることになるでしょう。
それがわかっていても、私を産んだ理由が兄の面倒を見るために産んだと考えるとどこか辛いものがありました。
でも、母が障害を持って産まれてくるリスクを背負いながらもそれでもいいと思って私を産んでくれたことを聞いて、自分は考えすぎだったなと思いました。
これまでも、兄ばかりと思うこともありましたが何不自由なく
やりたいことをやらしてくれる両親でした。
最後に
こういった記事に書き起こすとそういった経緯があったんだなと感じるだけですが母が兄を出産し、知的障害とわかり、それを受け止め子育てをしつつ、私を産もうと決意するまでの期間は私には計り知れないぐらいの大変で辛い時期だったのではないかなと思います。
だからこそ、知的障害の兄を子育てしながら、私を産み何不自由なく育ててくれた両親特に母には感謝しています。
そして、これまで兄の面倒を見るために生まれてきたと勝手に思ってきましたがそんなこともないんだと改めて感じることができました。
改めて、母親の強さを感じることができ
きょうだい児としての自分の思いを考えさせられるきっかけになりました。
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