【思春期のきょうだい児】行動と気持ちが乖離して葛藤していたお話
人が成長する段階で、迎える思春期。
私も今思い返せば、そんな時もあったなと思います。
今回は、思春期にきょうだい児として考えていたことを
思い出しながら書いていこうと思います。
兄の障害を知る人と知らない人
私は幼稚園の頃に兄の習い事によくついて行っていました。
そこには、知的障害を持つ小学生から高校生までと健常児の小学生が
一緒に活動していている習い事でした。
私は、兄が所属している流れで所属し活動を小学生卒業まで
続けていました。
ここでは、知的障害児がいることは当たり前で、健常児の小学生が
自分より大きな障害児を相手にボランティアや支援をしながら
一緒に活動していました。
私が所属した時点で、私の兄が知的障害であることはみんな知っていて
そこに何にも違和感を感じていませんでした。
一方で、小学校では兄が障害者であることを話していませんでした。
なぜ話していなかったかは定かではありませんが、
おそらく一般的な家庭ではこういった障害を持った兄弟がいないことを感じ
ていたのかもしれません。
そのため、小学生時代の私は習い事では兄のことをオープンにしていて
小学校ではクローズしていました。
思春期の頃の宿題
小学生高学年になると、みんなと違うことに敏感になったり
友達関係を気にしたりとより兄の存在を隠したいなと感じていた頃だと
思います。
でも、習い事では兄のことは全員が知っていて
それがあまり苦痛に感じることはなく、気楽な気分ではありました。
ただ、1つの問題が生じたのです。
小学校の夏休みの宿題で「少年の主張」という作文の宿題が課されました。
これは、社会や世界に向けて自分の意見を主張する的なものでテーマなど
の決まりはありませんでした。
ただ、習い事のみんなは大体各テーマは同じで、
習い事での知的障害児との関わりについて書くことが多かったです。
私も同様に、兄のことにはあまり触れずに適当に作文を書いていました。
毎年夏休みの終盤に、習い事に宿題が終わっているか確認する時間があり
みんなで先生に宿題を見せていました。
そこで、まだ宿題が終わっていない人や悩んでいる人が
先生の家に行って宿題を終わらせることが毎年ありました。
私は、宿題はさっさとやるタイプだったので作文も含めて全て宿題を
終わらせていました。
ただ、先生は私の少年の主張を読んで書き直しなさいと
そして書くために家に来なさいと言ってきたのです。
私は作文が苦手であんなに苦労して書いたのに
なんで書き直す必要があるのか、しかも夏休みの最終日というこもあり
絶望的でした。
ただ、先生に反抗することもできずとりあえず先生の家に行きました。
そこで、先生からは「お前は、知的障害を持つ兄がいるのだから
もっとそういうことを書きなさい」という感じに言われました。
私はそこで直ぐに書くことはできませんでした。
確かに、兄のことで作文を書くことはできそうだけど
小学校のみんなは兄が障害者であることは知らないし
みんなの前で読むことになるから恥ずかしいなと感じていました。
でも、そんなことを先生に言うこともできず葛藤しながら、
兄についての作文を1日で苦しみながら書き終えることができました。
夏休みが終わり、不安になりながらも小学校のみんなの前で兄について
書いた作文を読みました。
その時にどんなことを私自身考えていたのかは何も覚えていなです。
ただ1つ言えることは、そこからの人間関係は何も変わることが
なかったことです。
この作文は更に学校予選を通り地区予選を優勝し、区大会で入選しました。
思春期のお出かけ
思春期でいうと、1番思い出すのは家族とのお出かけです。
習い事もありそんなに家族でのお出かけはありませんでしたが
たまに家族4人でお出かけすると
変な動きをしたり、変な声を出しながら歩いている兄と同じ家族だと
思われたくありませんでした。
だから、わざと早く歩いたり遅く歩いたり、電車では違うところに座ったり
と出来るだけ兄と離れつつ行動していました。
思春期の気持ち
上記のような経験を振り返り、当時の思いを少しずつ思い出してきました。
とにかく、人と違うことが恥ずかしい、違うだけで嫌われるんじゃないかなどの気持ちが大きくなり兄のことを隠したり、遠ざけたりしていました。
ただ、こういった行動を取りつつも、そんな行動をしている自分自身が
嫌になっていました。
自分の兄なのに、それを認められない自分を認めたくなく
最低な妹だよなと感じ、1人で落ち込みながら葛藤していました。
最後に
思春期のきょうだい児としての行動と気持ちは乖離をしていて
それに悩んでいました。
きょうだい児に限らず、思春期にはたくさんの葛藤をしている人が多いのかなとも思いますが、私はやっぱり兄のことが1番の悩みだったような気がします。
やっぱり、成長段階で各年代できょうだい児として葛藤し悩むことは
多いですが、過切に自分の人生としてきょうだい児ということに
向き合えればいいのかなと思いました。