見出し画像

ぼっとん便所

ぼっとん ぼっとん ぼっとん便所


響きが面白いぼっとん便所
中学生の娘に聞いたら「何それ」と言っていた。


和式トイレも消えつつある昨今
ぼっとん便所なんて、もはや天然記念物なのだろう。

私が5歳の頃、藤房農園にはまだぼっとん便所があった。
築100年の古民家の隣の東側、しかも外の離れにぼっとん便所は存在した。

ここは瀬戸内にある、とある島で冬になると海から上がってくる西風が暴風と化す。
それはそれはもう想像を遥かに超えていて、令和になった今、なぜか島への移住がブームになっているが、移住者の方でこの西風が恐怖すぎて帰ってしまう人もいるぐらいだ。

我が家も冬は玄関を子どもが1人で開けてしまったら飛ばされるので、かならず大人が開けることになっている。


そんな暴風化した西風が吹く中、5歳の私は夜にトイレに行きたくなった。
古民家の土間を通り竈門がある台所を通り勝手口から外に出る。
風はビューゴー、ビューゴー吹いていて、伸びた木の枝がぼっとん便所の小屋の屋根に覆い被さり、暗闇がさらに暗黒になっていた。


泣きそうになる気持ちを抑えて、風に飛ばされそうになりながらギーっと扉を開ける。
中は暗く少し上の方にある、すりガラスから月の光がほんのり照らされていた。
明かりがあり少しほっとしていた次の瞬間、すりガラスの外に人の手の影が写っていた!
その手はコトン、コトンと、すりガラスをたたいてくる。


怖くなった私は、その「手」から目が離せなくなった。手は変わらずコトン、コトンと、すりガラスをたたいてくる。
震える手で何とかかんとか服を下ろすも、今度はぼっとん便所の底が見えない暗くて広い空間から手が伸びてくるかもしれないと恐怖で震えが止まらなかった。

何とか用を足し窓の「手」を見つめつつも、すばやく服を上げて母の元に行った。
母に手のことを話すも
「えー!そうなんや!怖いやん」
と驚いた表情をするだけで終わった。
私の母はかなりの天然なのだ。
人に共感する力が少し弱そうな人で、そのことが余計に私を恐怖に陥れその日は眠れなかった。

ぼっとん、ぼっとん、ぼっとん便所

「手」の正体が「ヤツデ」の葉っぱだと知ったのは次の日、自分で窓の外を確認しに行った時に分かった。
ぼっとん便所の恐怖と母の天然の恐怖は、今だに私の記憶に鮮明に残っているのである。


余談だが昔は、ぼっとん便所の清掃のベテラン職人さんは、依頼主の家の人の中に糖尿病を患っている人がいるなどが分かったらしい。
その話を祖母から聞いて「ベテラン職人」というのは、どの分野においてもすごいんだなと幼心に感じたのもまた、ぼっとん便所の思い出である。

いいなと思ったら応援しよう!