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私達が歩んだ道はインクルーシブだったのか
特別支援の本棚、さおりさんのnoteをシェアさせていただきました。
私は小学校、中学校と、障害のある子も、無い子も、同じクラス、同じ空間で過ごしました。
今で言う「特別支援学級」という箱(教室)はあったと思いますが、当時の校長の判断で、箱は障害をもつ子の避難場所としか使用せず、授業も休み時間も、同じ空間で過ごしていました。
ですので、私は小学校の時から、あたり前の様に周りにダウン症や自閉症、身体障害がある先輩、同級生、後輩が居ました。
ただ、私は「ダウン症」や「自閉症」、「脳性麻痺」という診断名は全く知らず、何か私達とは違う所はあるのは分かるけど、変わらない所もあるなと感じ、「障害」という言葉すら、全く頭にありませんでした。
なので余計に、多動で他害で診断名がついていない弟だけが、いじめられる理由が分からなかったです。
この「分けない」で育った私の感覚は、当たり前の感覚になっていたので、
言語聴覚士になって初めての、ケースカンファレンス(多職種が集まって、議題にあがったお子さんの症状や現状について話し合う会議)で、
「この子は特別支援学級に在籍をしていて、、、」
と言われた時に、
「なんですか?それ?」
と聞いてしまいました。笑
先生方みんな、「は?」みたいな顔をして、こちらを見たので、本当にびっくりしたのを覚えています。
そこで初めて「障害を持つ子は分けて指導する」という事が、いわば「普通」だと教えられ、ものすごい衝撃を受けました。
「分ける?分けるって何?えっ?同じ同級生やのに、教室が違う?意味不明😵」
と大混乱状態でした。(これほんま)
この私達の「分けない」育ちについては、絵本になっていますので、ご興味ある方は読んでみてください(^^) 『じごくのそうべぇ』のたじまゆきひこ先生が描かれています。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/127161596/picture_pc_b2b00c12c1139418143eafd8f3c7e820.png?width=1200)
主人公の二人とは、今でも年に一回は会うかなぁという感じで、自閉症の彼は、いつも私の名前と車の車種を言って、挨拶をしてくれます。
私の子どもの名前も、二人までは覚えてくれたのですが、3人目からは混乱しています。笑
多いもんね。ごめんね。笑
まぁ、こんな風に、おっさん、おばさんになっても、会って話をする。という仲になるのは珍しいと思います。
大抵は、小学校、中学校では、特別支援学級に在籍していても、同じ校舎内なので、交流はありますが、高校からは、特別支援学校に行くパターンが多く、その後は交流は無いという事が多いのでは無いでしょうか。
ここからが本題ですが、
「インクルーシブ教育」について、文部科学省の説明を読んでも、私の中では、よく分かっておらず、「特別支援教育」「合理的配慮」など、言葉だけが一人歩きし、たいして中身が分かっていない私は、それが良いか悪いかも判断は出来ません。
友人の自閉症の彼は、たしかに「分けずに」一緒の教室で過ごしました。
そのおかげで、顔見知りにはなり、話をする友人になり、大人になっても付き合いがあります。
しかし、文部科学省が提示する
「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とする」
これに関しては疑問です。
彼は、はたして自分自身を最大限度まで発達させる事は出来たのか?
私達はクラスの人間の多様性を尊重できていたのか?
答えはどちらもノー。
いじめは普通にあり、自閉症の彼も中学の時に、トイレで殴られる事件がありました。
女子同士のいじめ、男子同士の弱者への暴力、悪口、妬み、プライバシーを侵す干渉などなど。
とても多様性を尊重出来ていたとは思えません。
自閉症の彼は、辛くなると手を噛む自傷を行い、教室から逃げ出す事も、よくありました。
彼に合った支援が、はたして教室内で出来ていたのでしょうか。
あえて「自閉症」について、名前やどんな特性があるのか先生方が、私達に説明しなかったのは、何か意味があったのでしょうか。
私は大人になって、自分で彼が「自閉症」だと知った時、もっと早く知っていれば、彼に対しての接し方を自分で工夫できたのに。
と心から思いました。
「自閉症」という言葉は、彼自身の人格を表す言葉ではなく、
あくまで彼の「症状」を表すに過ぎないのだから。
現在、私の小学生の子ども達の会話を聞いていると、私達よりもはるかに、多様性を尊重している事が分かります。
男子、女子、成績の順位、スポーツが出来るか出来ないか、お金持ちなのか、明るい性格か、暗い性格か、障害があるか、ないか。
そんな事で人を判断したりはしておらず、
個人として、
「あの子は、こんな感じのが好きだよね」
「あの子は、こういう感じにしてあげたら見やすいよね」
と自然に話しているのを聞くと、
教育現場も、少しずつ変わっていっているんだなぁと分かります。
凝り固まっているのは、やはり大人の私達ですね。
私達が経験した狭〜い価値観を、次世代に押し付ける事なく、
子どもと共に学び、価値観を覆していく事が、
インクルーシブの第一歩かもしれません。
そんな事を、さおりさんのnoteを読んで感じたので書いてみました。
障害者を生み出しているのは、あなたかもよ?|さおり@特別支援の本棚 @triodiary #note