マイナススタートの母と、プラススタートの娘
なんて羨ましいんだ。
私は娘を見る度に、いつも、ほーっとため息をつく。
娘は手先が器用で、練習などなくても、ある程度の事は何でも、人並みには出来てしまう。
(球技がダメな所は、私と一緒)
裁縫や、音楽や、絵画など、手を使って、何かを生み出す時に、娘の器用さが発揮される。
一方、私はというと、未だに玉留めなども苦戦し、中学の時にパーカッションをやっていたけど、それだって、基礎練習を死ぬほどやった。
絵を描くのも嫌いじゃないけど、小学校の時に絵が上手な子が沢山いて、早々に、絵を描いても無駄だ。と諦めた。
絵を諦めていた私だが、中学の美術の課題で、好きな風景を描いてくる。という課題が出て、
私は海の絵を描いた事があった。
課題提出後、美術の先生が、私が描いた海の絵を褒めてくれて、私はこの絵好きだよ。と言ってくれた。何と卒業アルバムのメッセージのところにも、「あの海の絵、本当に好きだよ」と書いてくれた事があった。
今、考えると、それってすごく幸福な事だったと思う。
当時の私は家庭のいざこざで、心が闇に包まれていた。
だから、先生がかけ続けてくれた声に、何も感じる事が出来なかった。
娘と違って、何をするにも、人よりマイナスでスタートする私。
そのため、歯を食いしばりながら努力することだけは、ずっと続けていた。見ているこっちが辛くなるくらい。と、私の母が言うくらい。
たしかに、「努力」と「根性」は、私の代名詞だ。
だからからか、娘が小さい時は、特に努力をする気配が無い我が子に、イライラしていた。
それは娘がもっと頑張れば、もっと出来るのに。と、表向きは、そう思っていた。
しかし、本当の胸の内は、何でも卒なくこなせる(ように見えた)娘が、羨ましかったのでは無いかと思う。
私が努力しても手に入れられなかった人並みの才能を、娘は持っている!
なぜ、ここからもっと努力しないんだ。
なぜ、自分をもっと高めようと思わないんだ。
せっかく才能があるのに!
私は、こんなに頑張ってきたのに‼︎
「努力」と「根性」は、たしかに私の代名詞だ。
もしかしたら、私は私の人生を肯定したくて、この生き方が正しく美しいと、そう思い込んでいたのではないだろうか。
「娘のため」と、公言しつつ、本当の胸の内は、娘が羨ましくて仕方がない。
私も最初から人並みの才能があれば、自分の気持ちの赴くまま、自由で軽やかに、自分を表現出来たのに。と。
私は娘の描く絵が好きだ。
何というか生き生きしていて、本当に喋り出しそうな感じがするのだ。
絵の先生に習った事も活かしつつ、自分らしい表現も忘れない。
私は娘の奏でる音楽が好きだ。
好きになったら一直線で、偶然私と同じパーカッションを担当している。
人数が少ない中学の吹奏楽部で、パーカッションの一人親方だが、ドラムを常に練習していて、本番を楽しみにしている。
娘の姿を見るたびに、私は中学の時に描いた、海の絵を思い出す。
あ〜きっと、海の絵を描いている時の
「努力」は、今の娘の様に、軽やかに自然に楽しみながら、時間を費やしていたんだろうな。
それを、中学の美術の先生は、ちゃんと見ていてくれていたんだな。
海の絵は、青ではなく、紫やオレンジを沢山使った。
私が当時住んでいた丘の上の家の前から見える海の絵だ。
特に夕暮れに近づこうとしている16時半〜ぐらいからの、海が紫や緑やオレンジ、黄色など、沢山の色に色づく瞬間の海の絵を、私は課題を与えられた時から、描こうと決めていた。
描いていた時の記憶も鮮明に残っている。
色とりどりに染まっていく海を、どんな絵の具の色を使って表現しようか、常にわくわくしながら描いていた。
この瞬間は、今しか無い!
と、ラフスケッチに色を簡単にのせて、
風景を目に焼き付けて記憶した。
写真に撮っても、この感動は残せないからと、当時の私は感じていた。
娘が、あの頃の私と同じ年齢になって、
頑張ったり楽しんでいる姿を見る事で、
あの頃、美術の先生から言われた言葉を
思い出し、振り返る事ができた。
そして、ようやく歯を食いしばりながら
必死に生きてきた私自身を、夕暮れの海の様に優しく包み込んで、
「大丈夫だよ。好きだよ」
と言ってあげられる様になった。
今の私なら、
中学の美術の先生が、私に伝えたかった事が分かる気がするのである。
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