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自分好きになりたい私

伊達住職の自分好きになるためのラジオ

voicyパーソナリティの伊達住職さんの
お話を聴いて、とっても共感しました。


頑張ることを手放す事は、
私にとっては、とてもとてもハードルが高い事でした。


父に振り向いてもらうため、
母から偉いね。と称賛してもらうため、

「頑張る」事は、私にとって、
「生きている意味」でした。


頑張る事が生きている意味なのであれば、
私は頑張り続けなければ、生きている意味が無かったのです。



常に私は自分が出来ない事を、自分自身で責め立て、もう○歳になるのに、こんな事もあんな事も出来ない!と嘆いていました。


歯軋りがひどく、歯医者さんで作ってもらったマウスピースは一晩でボロボロになり、
文字通り、歯を食いしばりながら生きてきて、
これが正しい生き方だと信じていました。


子どもを産み、
身体が動かなくなる鬱症状が出現して、

ようやく私は、自分の考えが行き過ぎていた事に気づき、最初の一歩を踏み出せました。



小さい頃の私は、おふざけが大好きで、
変な事を言いながら、変な踊りをして、
よく母を笑わせていました。


父が居ない日の家の中は、明るくて、笑いが溢れた空間でした。



父はよく母を人質にし、私達子どもを思い通りに動かそうとしていました。

「お前らが言う事聞かないから、コイツはこうなるんやぞ」

「コイツはアホでのろまやからな」

と言いながら、母の髪の毛を引っ張り、頭から牛乳をかけ蹴っていました。




そうか。私達が悪いから、母はいじめられるのか。
母は出来損ないの人だから、父が躾をしているのか。
最後にはいつも、母も子どもも土下座を強要させられました。



母もだんだん気力がなくなってきて、
私も変な踊りをしたり、笑い転げたりはしなくなっていきました。


加えて私は、手先が驚くほど不器用で、
記憶容量も少ないため、よく忘れ物をし、
遅刻やドジも沢山してきました。


そのたびに、父や先生から、
「抜けさく」や、「だぼ!(方言であほ!という意味)」と、ずっと言われ続けていました。

頑張っても、頑張っても、いつまで経っても、私は、「抜けさくで、だぼ」な子どもでした。




そんな私は、今でも油断をすると、
自分で何でも背負い込んでしまいそうになりますが、1つ大きく違うところは、


自分を責めなくなりました。



泣いて泣いて、叫んで、叫んで、
ノートに殴り書きを何年も何年もして、
家族に我慢させたり、支えてもらったりしながら、10年ぐらい経って、気がついたら、
自分を責める事はなくなり、



子どもの前で、いつも変な事を言いながら、変な踊りをする様になりました。

みんなで、笑ったりして過ごす中で、
育児は大変な事もあるけど、自分を責めずにいられる事は、うまく息抜きも出来るという事であり、だらだらしながら育児が出来る様になりました。



今後の私の課題は、うまく人に頼れること。
農園でのプロジェクトを、私は当初1人で何とかしようと考えていました。


が、それは1人では出来ない!


と、頭を整理していただき、全く考えもしなかった視点を伝えてもらえる機会を得ました。


頑張るという生き方は、必要ではあるけど、
それに縛られ過ぎてしまうと、
脳は自分が思っているよりも、素直で、
臨機応変に対応しにくいみたいで、

行き過ぎて病気を発症してしまうみたいです。


病気はもう懲り懲りです😅


気持ちも身体も健康に。
単純な脳を使い過ぎない様に、
適度に休みながら、人にも頼り、


これからの人生、
プロジェクトを実現できるように
生きていけたらなと思います。

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