父が亡くなりまして

8月某日、高齢で末期癌だった父が亡くなりました。

私はその2ヶ月ほど前からパニック障害になり、特に夏の間は外出が厳しいと感じていました。
実家は新幹線を使って片道3時間です。

2ヶ月前に痛みで入院したと聞いても、1ヶ月ちょっと前にごはんが食べられなくなっていることを聞いても、5日ほど前にかなり弱ってきたと聞いても、体調に不安があって父に会いに行くことはできませんでした。

母には具体的な症状や病名は言っていないのですが、体調不良で夏の間は実家に帰ることは厳しい、親不孝者で申し訳ないということは伝えていました。
東京にいながらできることはなんでもするし、一人で抱え込まずになんでも話して、と。

今なら亡くなる前日と分かるのですが、病院から「会いたい人は今のうちに」と連絡がありました。ちょうど自分の体調が悪くなってしまった時期で帰ることはできませんでした。
その翌朝に亡くなったことを聞きました。
思ったより早かったと思いました。


私と父の関係

父は今年79になる歳でした。私は45歳の時の子どもです。

父のことはあまり好きではありませんでした。
昔は一緒にお風呂に入った記憶もありますが、それ以外は父と2人きりで過ごすことはほとんどありませんでした。

普段は家事をやらずテレビを見てばかり、休日はパチンコや競馬、理想の父ではありませんでした。
穏やかな人ですが、男が稼いで、女は家事をするという古い考えの人でした。

そのため、母はいつも愚痴を言っていました。
働きに行きたかったようで、鬱々としていました。弟が小学何年生になるまでと決められていたと思います。
私は母の気持ちがよく分かったので、父を非難するようになっていました。

母に「なんで離婚しないの?」と聞いたことも何度もあります。
「まぁ暴力はしないし」という感じでした。

私が大学卒業して就職する時に東京の方に出てきました。
なるべく帰省した方がいいと思って、歯医者の定期検診のたびに帰っていました。

1社目を退社して無職期間中にも少し実家にいたことがあります。
テレビを見ている父の横でパソコン作業をしていましたが、特に話すことはありませんでした。

コロナ禍でしばらく帰ることができず、コロナが落ち着いた昨年3月下旬に久しぶりに帰省しました。
母は父に私が帰ることを伝えていなかったようです(本当に帰ってくるのか分からなかったようで)。
抗がん剤で髪の毛と眉毛がツルツルの父で、見慣れない姿にギョッとしました。
この時は少し話したと思いますが、父が「もうあまり長くないで」と言っていたことくらいしか覚えていません。

昨年の11月も帰省する予定だったのですが、咳が止まらずやめました。
結局昨年の3月が最後でした。

私は身近な人の死を受け入れられるだろうか

1ヶ月ほど前、ごはんが食べられなくなったことを聞いて、ネットで調べて、あと2・3ヶ月だということは分かっていました。

今まで関わりのない親戚が亡くなることはありましたが、最初の身近な人の死が父になります。

自分の心は、家族は今後どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいになりました。

あまり好きではなかった父でも、やっぱり昔から知っている人だから、苦痛を感じてほしくないと思いました。

父は今何を思っているのだろう。寂しがっていないかな、苦しいのかな、不安なのかな。
私に会いたいと思っていたりするのだろうか。
もし会いたいと思っているのなら、体調不良で行けないのが申し訳ないと思っていました。

母に聞きたかったけど、怖くて聞けませんでした。
おそらく母から父に私のことを話題に出すこともないのかなぁと。

正直なところ、父の姿を見るのが怖かったです。久しぶりになるからだいぶヨボヨボになってしまった父を見て大きなショックを受けるのではないかと。
徐々に変わっていく父をそばで見ている母とどちらがきついのだろうかとも考えたりしました。

***

あまり父との会話を思い出すことはないのですが、それでも思い出されるのは、ウニが好きで「死ぬ前にウニが食べたい」と言っていたことです。

私が体調不良でなかったら、この夏に夏季休暇を取って実家に帰り、父が食べたい海鮮を選ばせて一緒に食べたいと思っていました。
残念ながら、父の体調的にも、間に合いませんでした。

父の死を聞いて

母からLINEが来るたびにドキッとしていました。
しかし、死のLINEについては冷静に受け止められました。

前日に「今のうちに」ってLINEがあったのもあり、次LINEが来たら訃報だと心の準備ができていたのかもしれません。

「意外と怖くない。死ぬのって怖くないのかも」っていうのがその瞬間の感想でした。
(その場で見ていたわけではないので、どれくらい苦しんだのか、そばで見ていた母の気持ちなどは聞いていないので分かりません)

それでも思ったより早かったので調べようと思っていたこと(親が亡くなった時にやらなければならないこと)を調べられておらず、会社への申請はどうするのだろうと見たりしました。

仕事も期日が迫っていて忙しかったので、申し訳ないけど父のことは気にしていられませんでした。
それ以上にこの日の体調が悪く、自分の体調に神経がいってしまいました。
なんて人間だと思いますが。

身内に不幸があると体調を崩していたらしい

夜に母から今後の予定の連絡がありました。
父は葬式は上げなくていいと言っていたとのことですが、葬儀社に頼んで葬式をあげることにしたそうです。
これについては、本人が上げなくていいと言ったのになんでだろう、母が上げたいと思ったのかなと思いました。

数日前にもお葬式の話をしていましたが、いざこの場で調べてみたら、やっぱり結構お金がかかるものなんだなと思いました。
これから母と引きこもりニートの弟と暮らしていくのに少しでもお金がいるだろうのに。

せっかく土日なのに、体調不良で行けないのが申し訳なかったです。
60の母に全てをやらせてしまって、本当に申し訳ないです。。

母は気にしなくていいとLINEを送ってくれました。
私は小さい頃にも、身内に不幸があるとお腹壊したり、風邪引いたりと体調を崩していたそうです。
感じやすいのではないかとのこと。
だからこれから体調よくなってくるんじゃないかな、こっちに来れるようになったらお参りすればいいからとのこと。

私は小さい頃からほとんど体調を崩さない健康人間だと思っていましたが、そうだったのかと驚きました。
そんなスピリチュアル的なことあるのかななんて思いましたが。
父が入院になったのを聞いて、今回体調不良になったわけではないし。
しかし、このLINEを見て、久しぶりに涙が出ました。

***

スピリチュアル的なことで言えば、実はこの日の朝、おそらく6〜7:00台に父の夢を見ました。
普段、父が夢に出ることはほとんどありません。

顔はヨボヨボだったけど、自分で立っていたし、髪も生えていたし、思ったより元気じゃんって思いながら、
「これで最後かもしれないけど…今までありがとう」といったような挨拶をしました。
父はうなずくだけでした。
これで目が覚めました。

これもなにか感じていてのことだったのでしょうか。

***

夜遅くだったので一旦寝て、翌朝返事する時に1時間くらい泣きました。
あとで気づいたのは、これがあるから、母はきちんと葬式を上げることにしたのではないかと思います。

でも、この体調不良は続くわけではない、良くなってからお参りに行こうと思いました。
あと、母ともしばらくLINEでしかやりとりしていないので、たまには電話したり、話したいと思いました。

東京で好き勝手やらせてもらい、約1年ちょっと父の介護を母にやらせてしまった申し訳なさがあります。
会えるうちに母と会って、できれば将来的にはそばで暮らしたいと思います。


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