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【お金になる絵の描き方】

自分はなんとなくお金になる絵の描き方がわかるが言語化できてないし、逆に絵を仕事にしたいっていう人たちは何故お金になる絵を描こうとしないのか、できないのかについて理解が及ばないので考えてみたい。

大衆に対しては千差万別で、多くの人気を得たいという話であれば普遍性共感性訴求力を絵に込めれば、成し遂げられやすいので、また別の話とする。

ここではお金を貰い依頼を受けられる人、そうでない人の違いを話そう。

お金が貰える依頼を得られる人というのは端的に言えば、依頼主から「お金を出してもこの人に描いてもらいたい」という、感情を抱かせられるか、にあると思う。

つまり、自分の絵は、どこの誰にとって魅力と思って貰えて、どういう人に深く突き刺さるか。

について考えられているかが大事だと思う。

自分の好きを追求する事が他者満足に繋がる人も居るがそう多くの人がそうあれる訳ではない。

好きに描くことでお金が貰えたら良いな、ではなく

明確にこの人この人達この層喜んでもらえる絵はなんだろうか。という事を突き詰めた先にお金を払うに値する需要が産まれるとおもう。


絵を仕事にしたいができない人を見てきた特徴の中には
・自分の明確な理想がない
・自分がどういう絵描きでありたいかの自己対峙が足りていない。
・自分の事ばかり見ているが自身理解が甘く、他者の事が考える事ができない。

端的に言えば色々と明確に出来てない。
に尽きると思う。

じゃぁどうすればいいんだよ、そもそもどうしたらいいのかもわからないんだよ。という声も聞いてきたが、結局の所行動をする。

色々な事試す、試す度にこれは自分はあまり好きじゃないなこれは好きだな、と肌で感じ理解を増やしていくしかない。やってみないとわからない。だからとりあえず描け、と世間では言われるのだろう。

併せて考えて描けとも聞いた事があると思う。                             

 考えて描け、とは。
・今自分がやっている事は何のためにやっており。
・やっている最中自分は何を感じ何を思うのか。
・そしてそれは人が見た時どう思う事なのか。

これらを意識しながら描き、それらを習慣化することによって意識無意識化する事により

無意識にできた分余裕ができた脳のメモリにまた意識を詰め込み、新たに無意識に出来るようにする。上達とはこの繰り返しに尽きると思う。

技術の積み重ねとは無意識の積み重ねの上に成り立っているのではないかと私は仮定する。

所謂ところの才能というものは、凡人が意識を無意識にする修練を積み重ねて成長していく中で、最初から無意識に意識的にやるべき事を感覚で出来る人の事をセンスがある人才能のある人、と呼称されやすいのだと私は考える。

感覚型と呼ばれる絵描きだね。
デメットは感覚故に安定性に欠けて、気分で絵のクオリティが左右される事。

理論型は安定はしているがデメリットは絵に遊びや感情が乗りにくく面白みや勢いのない絵になりがちな所。

もし…そうだな月に2、3枚描くだけで生活できる絵描きになりたいのであれば、それはまた交渉術やマネタイズ論が関わってくるが、そこまでいくと一流に近しいと言っても過言ではないと思うので

結局の所、感覚も理論も高い水準が必要だとという事は私の経験上、思っている。

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