結局花屋さんになりたい。

保育園に通っていた頃、なりたかった職業は年少からインテリアコーディネーター、花屋、そして年長でプリキュアだった。

私の家は完全なる花家系で、曽祖母は華道の師範代、祖母も母も花と共に育ってきて、そんな母は花屋さんで働き、父は何かにつけて家族に花を贈っていた。

保育園に行く前、母の働く花屋さんに寄って可愛い可愛いと甘やかしてもらったり、家でブーケに使うリボンを編んだりして穏やかに過ごす。
そんな素敵な時代が私にもあったのである。

新社会人として働き始めて、働くことについて考えることが多くなった。

私はいま、何のため、誰のために働いているのだろう。目的を見失ったまま考える企画はボツになることが多い。
それは当たり前だが、考えることが多すぎるとやり遂げるのに精一杯で、その先が見えなくなってしまう。
その中でいちいち、あれ?この案件の目的ってこうじゃないんすか?笑 
なんて、ひろゆきみたいに考えるのはストレスが溜まる。

私が花屋になりたいのは目的が分かりやすいからだ。誰かや自分を喜ばせたり、偲んだり、祝ったり、ネガティブな感情を持つ人が来ない。

スピリチュアルなことを言い出すがどんなに小さいお店でも、花屋さんにはポジティブな気が流れていると感じる

誰かのために渡す花を一緒に考えて、その先の人を笑顔にできるなんて、なんて幸せな職業なんだろう


ほんま、花屋になりたいワと言うと
母はいつも同じ口調と顔でこう返す。

「でも朝早いし、手は荒れるで」


結局、楽な仕事なんてどこにもない

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