【前半】京都とアメリカを繋ぐ自由な男「京男ときどきアメリカン・ポップスが流れて」パーソナリティの勝部章人さん インタビュー
勝部章人さんの番組内容
京都三条ラジオカフェにて2018年から毎月第1日曜日(9:10〜9:25)放送中の「京男ときどきアメ リカン–京の町にアメリカン・ポップスが流れて」はパーソナリティのアキート(勝部章人)さんがアメリカの文化や60年代〜80年代の音楽を紹介、演奏してくれる番組です。
ー今までの遍歴と現在の活動を教えてくださいー
勝部:今現在はここのパーソナリティーと小規模な英会話教室、年数回のライブなどをやってるんですけども、最初は大学、当時は大手前大学文学部でアメリカ文学の教授をしていて、早めに退職してね。自分でなんかやろうと、英会話教室を立ち上げて、あとはちょっと音楽やってましたん で、 そういう活動もと思ってやり出したんです。その 流れで、ここもパーソナリティとかやらしてもらってるんですけどね。だから経歴としては、大学で教えてて、その後こういうことをやっているという 感じですね。
ー文学研究から音楽に移った経緯を教えてくださいー
勝部:元は文学部っていうのが 伝統的にあったんですが、そういう場所には大衆文学の研究はありま したけど、大衆音楽っていうのはなかなか研究対象にならなかったんですよね。 で、それがやっとアメリ カで研究対象になり出したのが、1980年代ぐらいから、大衆音楽も研究するに値するということにだん だんとなっていきました。 難しい言い方をすると「musicology」とか「音楽学」とかね。それから「folklore」やフォークソングの研究も やるようになった。それからやっと日本の大学も、アメリカの後を追ってそういう講義をはじめたんです。
95年に阪神淡路大震災が起きたとき赴任していた大学が被災して、その時に大学で震災からの立ち上がりのためにライブや学校からの実況放送をしたりだとかを音楽仲間としていて、これを大学でこれから もやっていこうという雰囲気が出始めて、その頃から研究対象としてのアメリカ大衆音楽を始めたんで、今では当たり前になってますけどね、当時は走りでしたよ。それまで学校で、そんな教壇で歌を歌うなんて、とんでもない話だったんですけどね、その頃から教室でCDをかけたりしていたのですが、学生さんは飽きちゃうんですよね。それで、もうこの際、歌ったれ、と思ってギター持って歌ったりとかしましたよ。
ーそれでは文学と音楽の繋がりはー
勝部:ボブ・ディランっていますよね。ボブ・ディランがノーベル文学賞をなんでもらったかっていうと色々原因があるのでしょうが、彼はね、やっぱり詩人なんですよ。 で、詩人だけれども、その詩人というのは、イ ギリスの19世紀のシェリーとかバイロンとか、キースとか、そういう、純粋でロマンチックな詩を思い浮かべますけど、彼の詩っていうのはね、 バラッド(バラード)なんですよ。バラッドって物語で、昔は新聞がなかったからギターで語りながら、事件とか、その時流行ってることとかを語っていくようなのがあった。 彼はそれの語り手なんですよ。そういう意味で詩人というね。なかなかそれを(日本で)言っても、わかってもらえへん。だからそういうことを論文で書いたりしてたんです。それで、ちょっとだけ認められたという
か。当時はみんな、ほとんどの人がわかってなかったからね。それからは同じ大衆音楽史の研究者とも繋がって関西の大学で特別講義や市民講座なんかもしたりしていました。
ー私世代からするとボブ・ディランやジョン・レノンの詩はポップよりは崇高な言葉に感じます。勝部さん の若い頃はどうでしたか?ー
勝部:逆に、若い人たちがね、(あの頃の音楽を)どういう風に感じているか、の方が、かえって僕なんかは聞きたいと思うんですけどね。 ジョンレノンとかビートルズにしても僕らのリアルタイムで見てた感覚からすると、変わった兄ちゃんでした。でもビートルズはリバプール出身で、彼らの先祖はアイルランドに いる。飢饉でアイルランドから真向かいのリバプールに移ってきた人々が、一攫千金狙っていたようなもので、その精神性なんかは日本人の心にも入ってくるのかもね。
ー勝部さんの若い頃がちょうど60年〜80年代だと思います。そのころの社会はどうでしたかー
いい時代でしたね。アメリカもね、当時まだすごく景気も良かったし、 学生さんがホームステイなんか行っても「アメリカの、素晴らしい生活を見せてあげるわ」っていう感じやったんですよ。 だから、すごく居心地も 良かったし、受け入れてくれる家庭も良いところばかりだったのですけど、もう最近ダメですね。最近っていうか、も うずいぶん前から商売でやってるみたいなのがいたりね、メイド代わりに使ったりとかね、そういうト ラブルがいっぱい起こってね。 貧富の差が激しくなってきてるってことですね。最近ちょっと(アメリカに)行ってないんで、わからないんですけど。それでも、日本よりはいい生活してるのと違うかなって。中流を比べてみるとね、日本はちょっとどうなんだろう。わかりませんが。
ー私もオールディーズの音楽は好きですが、等身大としてではなく、幻想の世界のような空気が好きですね。生活環境があまりにも違うことが原因かもしれないですねー
確かに、すごく(社会に)閉塞感がありますね。差末なことっていうか。それにちょっとこだわりすぎてて、言葉じり取るとかね、もうちょっとおおらかにやったらいいのと違うかなと思いますね。で、かと言って、言葉だけ気をつけてても、気持ちの中でそれができてへんかったらね、あんま意味ないですもんね。 だから、 そういう意味では、ちょっと閉塞感があるなって。 でもペンデュラム(振子)ですから、行ったり来たりしますから、今 はだいぶ片方の端に来てますから、もうちょっとしたら戻るとは思います。だから、60年代は反対側に行き過ぎていたから、ふりこの振り振り切ったとこから、元に戻ってほしいと思いますね。今の若い人たちには期待しますね。
ー60年代から80年代の海外のフォークやカントリー音楽は日本人アーティストにも大きな影響を与えた と思うのですが、勝部さんは日本のアーティストでは誰が好きですかー
勝部:それもね、語ると長くなっちゃう。70年代の京都のフォークソングは僕にとってリアルタイムの音楽 で、当時は京都の大学生は京都御所に行ってバンドの練習をしていたんです。それには影響を受けたましたね。最初に流行ったんはね「ザ・フォーク・クルセダーズ」ですね。あの、3人。北山修さんが、高校の2年先輩 なんですけどね。自費出版でレコードを作っていて、買うてくれ言われたんやけどねその時買わなかった。今思うと、買うといたらよかったと思うよ。
ー勝部さんは生まれも育ちも京都ですよね。私は京都が好きなので羨ましく感じますが実際はどうですかー
勝部:あのね、でも今の京都を動かしてるのはね、京都以外から来た人たち。京都や!って誇っている人もいるけど、 そんなん生まれただけやん。で、どっこもみんと、生まれてからずっと京都にいる人はね、あかんね。もうそれ以上発展しない。それよりも他から来た、やっぱり京都のいいとこを見たいって思っている人たちがいまの京都を動かしているね。今、大抵のプロジェクトとか、大きいやつやってるのは、京都の外から来た人なんじゃないかな。
ーそうなんですね。京都という場所ははフォークソングと親和性のある町で新しい価値観が受け入れられやすい街とも言えるのかなと思いましたー
勝部:新しいもの食いなんですよ京都の人はね。それから怖いもん見たさみたいなね、そういうとこがあ るんでしょうね。妖怪なんかも好きでしょ。もう外国人も妖怪みたいなもんですから、そういう好奇心やと思いますね。それで、外のちょっと変わったものを入れて、自分のものにしていってこうやるっていうの は、やっぱり京都の人たちの上手なとこやないかと思いますけどね。だから、そういう 変なのがいっぱいあるんですよ。町の周りにあるでしょ。雰囲気もあるし、 狐なんかもいますしね。見たことありますか?白 い狐。
ーないです!狐がいるんですか?ー
勝部:この辺り(河原町三条)にはいいひんかもしれん。もう少し向こうの清水とかね。他にも天神さんのお宮とかそのあたりにいくと何かいるよね。いる気がするというか。そういうことを京都の人はまことしやかに言 うんですよ。いると思ったらいるんですよ。それでいて京都の人は両極端。僕だってねタイトルにも「京男ときどきアメリカン」って書いてますけどね、 そんな感じで「勝手や!」って人に言われるぐらい、良いとこどりをしてますね。京料理とかとか言うてるくせ に、次の回は ハンバーガーの話したりとかね。でも同じやと思うんですけどね、 全然話飛びますけど ね、黒人のブルースってありますよね。それから全く逆のね、ゴスペルってありますよね。ゴスペルってのは宗教音楽ですよ。宗教音楽っていうものでブルースってのは普通おっちゃんがやるような生活のこととかね。でも、やってる人は同じなんですよ。ある1人の人が、 家に帰ったらブルースやるし、教会行った らこうゴスペルやるんですよ。うん、それと同じようなもんです。どっちもやるんです。それが京都の人や。ところで、京都人って言い方は嫌いなんですよ。人を宇宙人みたいに言うなって。 だから京男って言ってる。
後編に続く
今回紹介させていただいた番組情報
番組名:
「京男ときどきアメ リカンー京の町にアメリカン・ポップスが流れてー」
放送時間:第1日曜日(9:10〜9:25)
パーソナリティ:アキート(勝部章人)
番組趣旨:アキートさんがアメリカの文化や60年代〜80年代の音楽を紹介、演奏してくれる番組です。京都とアメリカの意外なつながりが見えてきます。
記事を書いた人
瑠智亜 Lucia
京都芸術大学アートプロデュース学科三回生
京都三条ラジオカフェでインターンをさせてもらっています。
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