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【京都検定学習帖】#6 公式テキスト 史跡(1) *

はじめに

史跡分野、侮れません。
では、昨日の演習問題の解答です。

テキストから

1.長岡京の会昌門跡、小安殿跡などを発掘し「幻の都」と言われた長岡京の研究に生涯を尽くした人物は 【中山修一】
2.平安宮の政庁である朝堂院の正殿は 【大極殿】
3.平安宮の正門に位置する門の名は 【朱雀門】
4.藤原式家の兄妹が平城上皇と平城京還都を企てたが、事前に察知した嵯峨天皇によって封じられた事件は 【薬子の変】
5.この事件によって設置された令下官は 【蔵人所】
6.賀茂斎院があったと推定される場所に建つ神社は 【櫟谷七野神社】
7.賀茂斎院の初代斎王である嵯峨天皇の皇女、最後の斎王である後鳥羽天皇の皇女は 【有智子内親王】【礼子内親王】
8.蔵人頭に就任し、嵯峨天皇の信頼を得て摂関政治の礎を作った人物は 【藤原冬嗣】
9.藤原冬嗣の子で、人臣として初めて太政大臣・摂政となった人物は 【藤原良房】
10.人臣初の関白となった人物は 【藤原基経】
11.藤原道長が邸宅土御門殿に隣接して創建した寺院は 【法成寺(無量寿院)】
12.白河天皇が鴨川東岸の洛東白河に建立した八角九重塔を持つ寺院は 【法勝寺】
13.鳥羽離宮跡に今も残る御願寺は 【安楽寿院】
14.平安建都以来初めて京中で行われた戦いは 【保元の乱】
15.後鳥羽上皇が鎌倉幕府を打倒するために起こした兵乱で、六波羅探題の設置のきっかけともなった出来事は 【承久の乱】
16.足利尊氏が征夷大将軍になったころの邸宅があった場所は 【押小路高倉】
17.足利義満が北小路室町に造営した将軍御所は何と呼ばれたか 【花の御所】
18.応仁元(1467)年に勃発した「 応仁の乱 」の戦端が開かれたところとして知られ、門前に「 応仁の乱勃発地 」の石碑が立つ神社は 【上御霊神社】
19.「西陣」と記された大きな石碑があるのは何という建物の前か 【京都市考古資料館】
20.織田信長が討たれた当時に本能寺があった場所は 【蛸薬師西洞院】


発展問題

★東大寺大仏殿多出雲大社本殿とならび称される大極殿の壮大さを記述した「口遊」の編者は 【源為憲】
★「御堂関白記」(世界の記憶)を著した人物、所蔵されている場所は 【藤原道長】【陽明文庫】
★六勝寺
 法勝寺:白河天皇、(尊勝寺):堀河天皇、(最勝寺):鳥羽天皇、
 (円勝寺):待賢門院、成勝寺:(崇徳天皇)、延勝寺:(近衛天皇)
★白河上皇に鳥羽殿を造営するための土地を寄進した人物は 【藤原季綱】
★後醍醐天皇とその腹心の日野資朝・日野俊基が、鎌倉幕府に対して討幕を計画した事件は 【正中の変】
★光厳天皇が里内裏とし即位した邸宅は 【土御門東洞院】
★門前に「 応仁の乱勃発地 」の石碑が立つ神社の門前菓子は 【唐板】
★応仁・文明の乱の西軍、東軍の大将は 【山名宗全】【細川勝元】
★三好義継、松永久通らが足利義輝(13代)を殺害した事件は 【永禄の変】
★足利義昭が織田信長との戦いに敗れ京都から追放され、室町幕府が事実上氏滅亡したとされる戦いは 【槙島城の戦い】


豆知識

<平安京以前に京都にあった宮都>
筒城宮:511年遷都、継体天皇
弟国宮:518年遷都、継体天皇
恭仁京:740年遷都、聖武天皇
長岡京:784年遷都、桓武天皇
ちなみに、長岡京は今年2025年は発見されて70年の記念の年となります。京都新聞では1月に特集を組んでいたほど。
京都検定的には、このような特集は出題者側からすると、設問に入れたいなあと思うのではないでしょうか。

<摂関政治時代における事件>
842年 承和の変:藤原良房が伴健岑、橘逸勢らを排除
866年 応天門の変:伴善男を配流、事件後、藤原良房が摂政就任
888年 阿衡の紛議:藤原基経が宇多天皇の詔に反発
901年 昌泰の変:藤原時平に讒言により醍醐天皇が菅原道真を左遷
969年 安和の変:藤原実頼が源高明を排斥

<南北朝期の内乱・政変>
1350年 観応の擾乱:足利直義と高師直の対立→尊氏と直義が対立、内乱へ
1379年 康暦の政変:管領 細川頼之の失脚→斯波義将が管領再任

<応仁・文明の乱以後の政変等>
1493年 明応の政変:細川政元が10代将軍足利義材を廃し、将軍義澄を擁立
1511年 永正の船岡山合戦:幕府政権と細川氏家督争い
1565年 永禄の変:13代足利義輝の殺害


さいごに

事件、政変、内乱は本試験では必ずと言ってよいほど出題されます。
しっかり整理して覚えることが肝要です。

本noteは皆さんの京都検定合格を応援します!!
一緒に京都検定合格を目指しましょう。

西来院庭園 峨眉乗雲

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