【京都歳時記】雪月花の三庭苑
ここのところ、暖かい日が続いていますが、1月25日から北野天満宮の梅苑が公開されています。春を告げる梅の花。春近しというところでしょうか。
この北野天満宮の梅苑は「花の庭」として公開されています。
雪月花の三庭苑
江戸時代、歌人・連歌師・俳諧の祖として讃えられた松永貞徳(1571〜1653)が作庭したと言われる「雪月花の三庭苑」がありました。江戸時代には、寺町二条、清水、北野(一説には祇園)、に同時に庭園を造りました。寺町二条の妙満寺は雪景色を借景とした「雪の庭」、東山の清水寺は月見で有名な「月の庭」、そして北野松原の北野天満宮は梅花鑑賞の「花の庭」と呼ばれる庭苑を、それぞれが成就院(坊)という塔頭寺院に有しており、京都洛中の「雪月花の三庭苑」として名を馳せました。
やがて北野天満宮成就坊が廃寺となり「花の庭」は永らく失われていました。
清水寺成就院の「月の庭」は現存していますが、妙満寺は現在、お寺自体が岩倉に移転しています。その時に「雪の庭」は妙満寺塔頭の「成就院」から本坊に移されました。
3年前、北野天満宮の梅苑に「花の庭」が再興されました。
美しく整えられた梅苑「花の庭」には、苑内を一望できる特設舞台や枯山水の庭、また夜間ライトアップでは、約700燈ものろうそくの灯りが梅花を照らし出し、幻想的な世界が演出されています。
「雪月花」の由来
「雪月花」とは、もともと中国の「白居易」の漢詩「寄殷協律」の一節に詠われた「雪月花時最憶君」からの語であり、我が国においては既に「万葉集」のなかで、大伴家持が詠むなど日本の美意識の基準となっていた。「白居易」は日本文学にも大きな影響を与えたといわれ、平安時代、稀代の文化人であり、我が国における漢詩や和歌・連歌の大祖と讃えられた菅原道真公も「白居易」に影響を受けた一人でした。
江戸時代にに入り、先人に学んだ松永ていとくもまた和歌・連歌の神として菅原道真公を敬仰し、「雪月花 一度に見する 卯木かな」と様々な俳諧や和歌を遺し、自身が策定した三庭苑には、この「雪月花」の名を冠しています。
清水に立ち東山の月を観、妙満寺の庭より比叡の雪を眺め、北野の神域で梅花を愛でる、その日本人の愛した自然の美を体現するのが「雪月花の三庭苑」です。
松永貞徳とは
松永貞徳は、江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。名は勝熊、別号は長頭丸・逍遊軒・延陀丸・保童坊・松友など。他に五条の翁・花咲の翁とも称し、明心居士の号もある。子は朱子学者の松永尺五。
俳諧の先駆者として有名ですが、もともとは歌人です。俳句を吟ずることが、歌の修錬になると考え、やがて俳諧の方で名を高めていきます。京で生まれ、連歌を里村紹巴に学び、歌を九条稙通や細川幽斎(忠興の父)に学ぶほか、五十数人に師事したといいます。
「俳諧」はもともと「連歌」の一つのパーツだったのですが、これを独立させたのが松永貞徳でした。連歌一筋の人たちには面白くなかったでしょうが、これが時代の風潮にあったのでしょう。松尾芭蕉も最初は、この松永貞徳が興した「貞門流」の俳諧を学んでいます。しかし、芭蕉は後にライバル勢力となる西山総因が興した「談林風」に入っていき、独自の境地に達して「蕉風」という新しい一派を成し、俳聖と呼ばれるようになります。
慶長2年(1597年)に花咲翁の称を朝廷から賜り、あわせて俳諧宗匠の免許を許され、「花の本」の号を賜る。 元和元年(1615年)私塾を開いて俳諧の指導に当たった。家集に『逍遊集』、著作に『新増犬筑波集』『俳諧御傘』などがある。
墓所は、京都市南区の上鳥羽実相寺。
雪の庭
月の庭
室町時代初期の赤松氏山荘の跡地です。文明年間(1469~1487)に願阿上人が創建し、幕末には月照・信海上人のもと近衛忠熈や西郷隆盛がこの地で密談を交わしたと伝わる。現在の建物は、寛永16年(1639)東福門院和子の寄進によって再建されたものです。
享保20 (1735) 年の『築山庭造伝』には「典雅温淳の体」として庭の全景が、寛政11 (1799) 年の『都林泉名勝図会』には現存する庭と同じ姿の詳細な写生図が残されており、当時から名園として注目されていたことがわかります。 相阿弥が作庭し小堀遠州が補修したとも、風狂の連歌師・松永貞徳の作とも伝えられています。
「月の庭」は、江戸時代初期の烏帽子石、籬島石などの奇石を配した借景式・池泉鑑賞式庭園(現在は鑑賞式庭園)です。蜻蛉燈籠、手毬燈籠、誰ヶ袖手水鉢など、他では見られない石造の珍品数多くあります。心字池に映る月影が見事で、「月の庭」といわれています。向かいの音羽山の斜面を利用して山腹に石燈篭を置き、遠近感を出す工夫がこらされています。
*通常は非公開ですが、2025年の公開予定日
11月22日~12月7日(9:00~16:00 受付終了、18:00~20:30 受付終了)
花の庭
花の庭は北野成就坊に作られたとされ、明治期の廃寺とともに失われた。北野天満宮が残された庭石を活用するなどして境内の梅苑に新たな庭を整備しました。
■公開日程
1月25日〜3月16日(2025年度の公開日程)
受付時間:9:00~16:00(閉苑)
受付終了:15:40
※社会状況により、開苑期間や開苑時間を変更する場合があります。