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【京都検定学習帖】#20 公式テキスト 寺院(2)*
さて15時になりました。
昨日の問題の解答です。
テキスト・発展問題
1.(三十三間堂):後白河上皇、築地塀
★上記寺院の正式名は 【蓮華王院】
★本尊千手観音坐像の作者は 【湛慶】
★浄水に柳の枝を浸してその水を信者の頭上に振りかける秘儀で頭痛に効くといわれる行事は 【楊枝のお加持】
★上記行事と同日に行われる競技は 【通し矢】
2.(青蓮院):粟田御所、天台宗三門跡
★上記寺院の本尊は 【熾盛光如来】
★華頂殿の東面にある江戸時代の小堀遠州作と伝えられる庭の名は 【霧島の庭】
★小御所の建物近く渡り廊下に面して置かれている豊臣秀吉寄進の手水鉢の名は 【一文字型手水鉢】
★後桜町上皇が仮御所として御使用の際、使っていたご学問所の名は 【好文亭】
★寺宝の不動明王二童子像(国宝)は別名で何と呼ばれているか 【青不動】
★江戸時代の公文書体となった御家流の創始者は 【入道尊円親王】
3.(妙法院):後白河上皇、昌雲、天台宗三門跡
★上記寺院の本尊は 【普賢菩薩】
★豊臣秀吉が千僧供養を行った際の台所として建てられたと伝える桃山時代建築の国宝建造物は 【庫裏】
★豊臣秀吉を祀る豊国廟が破却された際、妙法院に移管された品の1つで、秀吉の天下統一を祝し、秀吉が行っていたキリスト教弾圧政策(バテレン追放令)の緩和を求めた内容が記されているものは 【ポルトガル国印度副王信書】
4.(毘沙門堂):行基、三寺を合併、天台宗五箇室門跡
★上記寺院の正式名は 【出雲寺】
★上記寺院は三寺を合併してできたものだが、合併を行った人物は 【平親範】
★後西天皇の皇子(公弁法親王)が入寺して以来、門跡寺院となった。
5.(愛宕念仏寺):称徳天皇、厄除け観音、火除地蔵菩薩
★平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失したのち、上記寺院を再興した天台の僧は 【千観内供】
☆1955年に上記寺院の住職となり寺院の再興をになった仏像彫刻家は 【西村公朝】
6.(月輪寺):泰澄、愛宕山、シャクナゲ
★上記寺院で修行を行ったとされ、時宗の開祖・一遍上人に「我が祖」と敬われた高僧とは 【空也上人】
★法然と親鸞が流罪となった際、上記寺院で別離を惜しんだとされる人物は 【九條兼実】
7.(二尊院):円仁、小倉山、紅葉の馬場
★上記寺院の字名は(発遣の釈迦如来)と(来迎の阿弥陀如来)の二体の本尊にちなむ
★応仁・文明の乱で焼失した上記寺院を三條西実隆父子の援助で復興した人物は 【広明恵教】
☆上記寺院は、皇室の仏事を行う特別に選ばれた4寺院のひとつだが、これらの寺院を総称して何と呼ぶか 【御黒戸四箇院】
☆法然が元久元年(1204)11月7日から9日までの三日間にかけて弟子190名の署名を募り、以後の専修念仏の修行に関する誡飭かいちょくを促したものを何というか 【七箇条制誡】
8.(金蔵寺):小塩山、元正天皇、桂昌院
★上記寺院の山号は 【西岩倉山】
★上記寺院には、明治の神仏分離で愛宕神社に祀られていた(勝軍地蔵)が遷され祀られている
9.(十輪寺):小塩山、在原業平、塩竃の跡
★上記寺院は門徳天皇の后(染殿后(藤原明子))の懐妊、安産を祈願して創建された
★上記寺院に安置されている花山法皇が西国観音霊場を再興された時に背負った自作の観音の名は 【禅衣観音】
☆上記寺院の高廊下、茶室、御殿の三方に囲まれた庭を何と呼ぶか 【三方普感の庭】
10.(勝持寺):花の寺、西行桜
★元亀二年、上記寺院で、聖護院門主道澄法親王、三條西実澄、飛鳥井雅敦、紹巴、昌叱等と共に千句連歌会を行い、その際に記され現在重要文化財となっている「大原野千句連歌懐紙」筆者は 【細川幽斎(細川藤孝)】
☆西行が出家前に鳥羽上皇に仕えた北面の武士時代の名前は 【佐藤義清】
11.(善峯寺):源算、桂昌院
★境内にある樹齢六百年とされる国指定の天然記念物の名は 【遊龍松】
☆上記天然記念物を歌に詠んだ尼僧・女流歌人は 【大田垣連月】
☆上記天然記念物を命名した人物は 【花山院家厚】
12.(穴太寺):大友古麿、木造の釈迦涅槃像
★上記寺院の本尊聖観世音菩薩は(身代わり観音)の説話で知られている
☆毎年1月3日に催される3,000枚の札を本堂から巻き、3枚だけ赤い札が入っており、それを拾った人は1年間幸せに過ごせるという行事とは 【福給会】
13.(延暦寺):比叡山、最澄、天台宗総本山
★上記寺院は最澄が比叡山で修行して(一乗止観院)を建立し、自ら彫った薬師如来像を祀ったことから始まる
★最澄、円仁、円珍、それぞれの大師号は 【伝教大師】【慈覚大師】【智証大師】
★西塔の常行堂と法華堂を繋ぐ渡り廊下に弁慶が肩を入れて担いだ伝説から、両堂あわせて(にない堂)とも言われている。
★本尊の宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているが、これは何と呼ばれているか 【不滅の法灯】
★文禄4年(1595年)、当時の園城寺弥勒堂を豊臣秀吉が西塔に移築させた建物とは 【転法輪堂(釈迦堂)】
★西塔にある織田信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれる建物は 【瑠璃堂】
★第3代天台座主円仁が開いた区域は 【横川】
☆『往生要集』や『二十五三昧式』が著された恵心僧都源信の住坊の跡にある建物とは 【恵心堂】
豆知識
<天台宗>
中国の智顗を高祖とし、最澄を宗祖とする。総本山は比叡山延暦寺。最澄は延暦二十三年(804)に入唐して学び、翌年に帰国して、延暦二十五年(806に天台宗を開宗しています。
平安時代中期、良源(慈恵大師・元三大師)を中興とし発展。鎌倉仏教の宗祖たちも輩出した。
<天台宗五箇室門跡>
三千院(梶井門跡)★:初代門跡 最雲法親王
青蓮院(粟田御所)★:初代門跡 行玄
妙法院 ★:初代門跡 尊性法親王
曼殊院(竹内門跡) :初代門跡 慈運大僧正
毘沙門堂 :初代門跡 公弁法親王
★が『天台宗三門跡』
<中興の祖 良源>
第十八代天台座主、通称 慈恵大師・元三大師
弟子:恵心僧都源信(往生要集の著者)
慈恵大師と呼ばれていたが、命日が正月の3日であることから「元三大師」とも呼ばれている。
元三大師良源を象った護符には「角大師」「豆大師」「厄除け大師」など様々な様式があり、いずれも魔除けの護符として現代に至るも広い信仰を集めている。
さいごに
気づいていらっしゃる方もいるかもしれませんが、問題の前の★、☆ですが、★は発展問題、☆応用問題(1級レベル)というイメージです。
☆は、今のうちは極力少なくと考えていますが、1級の難易度を考えると、ぜひ覚えておいたほうが良いというテキスト外ですが、大事かなあというものをピックアップしています。
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