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【京都検定学習帖】#12 公式テキスト 神社(1)*

テキスト・発展問題

1.神社には「式内社」と「式外社」があり、「式内社」は(延喜式)の神名帳に記載された神社である。
2.京都府内には、山城国一之宮に(上賀茂神社)、(下鴨神社)、丹波国一之宮に(出雲大神宮)、丹後国一之宮に(籠神社)が定められた。
3.(今宮神社):やすらい祭、あぶり餅
★上記神社のかつての名前 【紫野社】
★西陣織の業祖神を祀った上記神社の末社は 【織姫社】
★軽く手の平で三度石を打ち、持ち上げるに、たいそう重くなり、再度願い事を込めて 三度手の平で撫でて持ち上げる。軽くなれば願いが成就すると言い伝えらる石の名は 【阿保賢さん】
4.(大田神社):割拝殿、かきつばた
★上記神社はどこの神社の境外摂社か 【上賀茂神社】
★鳥居前に架かる石橋の右側下の水面から小さな石が顔をのぞかせているが、この石は何と呼ばれているか 【蛇の枕(雨石)】
5.(上賀茂神社):世界遺産、賀茂別雷大神、山城国一之宮
★上記神社の第一摂社であり、紫式部ゆかりの神社は 【片岡御子神社】
★男子15歳の元服を祝う行事は 【幸在祭】
★京都三大祭りの一つで、正式名「賀茂祭」という祭の名は 【葵祭】
★神前に菊花を供え延命長寿、厄難除けを祈願する神事は 【重陽神事】
★上記神事に引き続き、二の鳥居内の細殿前庭で行われるものは 【烏相撲】
6.(建勲神社):織田信長、船岡山
★豊臣秀吉は(正親町天皇)の勅許を得て、船岡山を織田信長の霊地と定めた
★上記神社の祭神を織田信長とした人物は 【明治天皇】
7.(平野神社):久度神、比翼春日造
★花山天皇が後胤繁栄を祈るため、上記神社へ行幸、臨時の勅祭を行われたことが起源とされる祭は 【桜花祭】
8.(わら天神):木花開耶姫命、安産の神、淳和天皇
★長さは八尺、胎児の保温や位置を保つためのもので、妊婦が妊娠5か月目の戌の日に巻くものは 【岩田帯】
9.(厳島神社):祇園女御、京都三珍鳥居
★上記神社は公家の邸内に祀られたが、その公家とは 【九條家】
10.(首途八幡宮):内野八幡宮、源義経
★かつてこの地には(金売吉次)の屋敷があったといわれる
11.(上御領神社):早良親王、応仁の乱勃発の地
★上記神社の門前で売られている菓子の名は 【唐板】
12.(北野天満宮):菅原道真、粟餅
★上記神社本殿の建築様式は 【権現造】
★「北野天満天神」の勅号は誰から賜ったか 【一条天皇】
★上記神社の社前で初めて歌舞伎を興行した人物は 【出雲の阿国】
★中門は、太陽、月、星の彫刻から別名(三光門)とも称される
★豊臣秀吉に北野大茶湯で賞賛されたのをきっかけに北野名物となった菓子は 【長五郎餅】
13.(伴氏社):北野天満宮末社、京都三珍鳥居
14.(護王神社):神護寺、狛猪、足腰守護のご利益
★平安京遷都を進言したとされる上記神社の祭神は 【和気清麻呂】
★平安時代に宮中で行われていた御玄猪の儀式に由来する無病息災を祈願する祭は 【亥子祭】
15.(白峯神宮):崇徳天皇、飛鳥井家
★末社の地主社に蹴鞠道の神である(精大明神)を祀る。
★源為義・源為朝を祀り、武道・弓道上達の神として信仰される末社は 【伴緒社】
★「飛鳥井」と呼ばれる井戸の傍にあり、根元から二幹に分岐し、二幹を合計すると5m近い巨樹である京都市指定天然記念物は 【オガタマノキ】
16.(水火天満宮):法性坊尊意、登天石
17.(晴明神社):五芒星、一条戻橋
★千利休が茶会において、汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれる井戸の名は 【晴明井】
18.(大将軍八神社):一条通、方徳殿
★上記神社の方徳殿に所蔵されている天球儀の作者と言われている天文学者は 【渋川春海】
19.(梨木神社):三條家、萩の宮
★境内にある京都三名水の一つで、唯一現存している井戸の名は 【染井】
★境内には2名の歌碑が建てられているが、この2名とは誰か 【湯川秀樹】【上田秋成】


豆知識

<京都三大奇祭>
やすらい祭(今宮神社)→正式には玄武神社
鞍馬の火祭(由岐神社)
太秦の牛祭(広隆寺境内社大酒神社)・・・現在は休止

<京都三珍鳥居>
伴氏社:台座に蓮弁
厳島神社:唐破風付き
蚕の社(木島坐天照御魂神社):三柱鳥居

<北野天満宮>
・天暦元年(947)に多治比文子に道長のお告げがあり、北野に道長を祀ったとされる。
・天正十五年(1587)、豊臣秀吉によって北野大茶湯が催される。
・現在の社殿は、慶長十二年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行に再興されたもの。
・「北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)を所蔵。
・初天神、終天神
・梅花祭
・瑞饋祭
・お茶壺奉献祭、北野天満宮献茶祭
・粟餅、長五郎餅
・弘法さんが晴れやったら天神さんは雨や

さいごに

北野天満宮では雪月花の三庭苑のひとつ「花の庭」が3月16日まで開苑しています。

「花の庭」について
明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があったが、成就院が廃されると「花の庭」も壊されました。
2022年、残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興されました。

本noteは皆さんの京都検定合格を応援します!!
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和気清麻呂像

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