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【京都検定学習帖】二条城 #0.7


寛永行幸四百年祭

2025年1月6日の京都新聞に「京都の知られざる魅力知って「寛永行幸四百年祭」どんな内容?」という記事がありました。
 
およそ400年前の寛永三年(1626年)に後水尾天皇が二条城へ行幸しています。これは、江戸時代を通じて最大級とも言えるイベントであり、最も京都が沸いた5日間と言われています。
 
この「寛永行幸」が四百年ぶりに復活、2026年に「二条城・寛永行幸四百年祭」が開催されるというものです。
 
今後も継続を目指すこの祭。葵祭、祇園祭、時代まつりに続く京都の祭になるかもしれません。
 
このような記事が出るということは、検定的にも狙われる要素は十分にあります。公開テーマ、非公開テーマ、いずれにせよ二条城関連は要チェックですね。
 
ということで、二条城に関連した「演習問題」を作成してみました。
※公式テキスト P42~


二条城を学ぼう

テキストから

1.二条城は、北が(   )、南が(   )、東が堀川通で画されている。
2.(   )が征夷大将軍の宣下を受けるに際し、その居城として築かれたもの。
3.着工前に建設予定地の立ち退きが行われ、その様子は(   )に記録が見える。
4.総奉行(   )、大工頭(   )、縄張り(   )
5.伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた徳川家康は、(   )を挙行するために二条城へ入城した。
6.元和六年(1620年)、徳川秀忠の娘(   )が後水尾天皇の女御として入内した。
7.寛永三年(1626年)後水尾天皇が二条城へ行幸するにあたり、大規模普請が実施され、天守閣は(   )へ移された。
8.国宝の二の丸御殿は(    )造で、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の 6 棟 が雁行形に建ち並ぶ。
9.御殿は幕府御用絵師である(   )率いる狩野派が描いた障壁画で彩られている。
10.築山林泉式の二の丸庭園は国の(   )に指定されている。
11.この時の拡張工事の作事奉行を務めたのは(   )である。
12.二条城には江戸時代初期、将軍の上洛に備えた警護として(   )が置かれた。
13.その後、元禄十二年(1699年)に廃止され、職務は(   )が受け持つことになった。
14.現在の本丸御殿は(   )より移築されたものである。
15.明治元年(1868年)、明治政府によって接収され、明治四年から(   )として活用された。


発展問題

★二条城南に位置する、平安京造営の際の禁苑であった、現在、東寺真言宗の寺院は
★二の丸御殿の正門である国宝の門は
★二の丸御殿の北にある池泉回遊式庭園は(   )により作庭された(   )である
★その池泉回遊式庭園にある茶室(   )は、江戸時代初期の京都の豪商(   )の屋敷から移築されたものがもとになっている
★拡張工事で出来上がった二の丸庭園は、中国三国時代の知将である諸葛孔明が考案した陣立てにちなみ(   )と名付けられた。


結び

1月26日の「大覚寺」、そして本日の「二条城」、いずれも公開テーマ、非公開テーマで十分狙われるテーマだと思いますので、少し深堀しながら問題を作ってみました。
2月1日からは、まずは公式テキストに沿った流れで、演習問題を作成しています。何級を受けようと、公式テキストの記載は基本中の基本ですので、気になる方はぜひチャレンジしてみてください。

本日の解答は、明日18時の投稿で

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