【京都歳時記】一休善哉の日 酬恩庵
一休善哉の日とは
京都府京田辺市にある「酬恩庵(一休寺)」では、一月一日生まれの一休禅師にちなみ、毎年一月の最終日曜日に、絵馬に今年一年の善きこと、誓い言を記し祈祷奉納を行います。 その後、善哉(ぜんざい)の接待が行われます。善哉(ぜんざい)の名前の由来は、一休禅師のエピソードに由来しています。元々仏教用語であった「善哉」という言葉。一休禅師がいただいた小豆汁の美味しさに思わず「善き哉この汁」と言ったことからこの名がついたと言われています。
酬恩庵(一休寺)
山号:霊瑞山
宗派:臨済宗大徳寺派
本尊;釈迦如来坐像
創建:正応年間(1288年~1293年)
正応年間(1288年~1293年、南浦紹明(大応国師)が開いた妙勝寺に始まる。
康正2年(1456年)に一休宗純が草庵を結んで中興し、宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。
本日は最澄の天台宗が公認された日
延暦25年(806念)1月26日、年分度者(国家公認の僧侶)2名認可の官符が発せられました。このことから、1月26日を天台宗開宗の日としています。
平安時代の日本の仏教の二大勢力と言われる天台宗と真言宗です。
天台宗は大乗仏教の宗派のひとつです。天台教学は中国に発祥し、遣唐使として入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開しました。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていましたが、これらの宗派は中国では天台宗より新しく成立した宗派でした。
奈良時代、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入りました。次いで、伝教大師最澄が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた後、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりといわれています。
最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出しています。その後、最澄はその教義から奈良仏教との論争が起きます。
さらに最澄の弟子の源信が著した「往生要集」が、後の浄土教の発展につながりました。平安時代末期から鎌倉時代初めにかけては、法然や栄西、親鸞、道元、日蓮といった各宗派の開祖たちが比叡山で学んだことから、比叡山は「日本仏教の母山」と呼ばれるようになりました。