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【京都検定学習帖】#8 公式テキスト 史跡 (2)*


テキストから

1.豊臣秀吉の京都都市改造で形成された寺院街は寺町通ともう一つは 【寺之内通】
2.天正十四年(1586)に聚楽第に行幸した天皇は 【後陽成天皇】
3.関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍から伏見城明け渡しの要求を拒否し、合戦の結果自害した、血天井で知られる伏見城留守居役の武将は 【鳥居元忠】
4.方広寺鐘銘事件ゆかりの鐘に刻まれた八文字は 【国家安康 君臣豊楽】
5.伏見に銀座を開いた人物は 【徳川家康】
6.高瀬川を開削した人物は 【角倉了以】
7.大内裏跡の荒廃した内野を、妖怪奇談の舞台として取り上げた説話集は    【今昔物語集】
8.里内裏の土御門東洞院で即位した天皇は 【光厳天皇】
9.後奈良天皇の要請で内裏修理費を献上した人物は 【織田信秀】
10.『大内裏図考証』を作成した有職故実家は 【裏松固禅】
11.修学院離宮を造営した人物は 【後水尾上皇】
12.修学院離宮について記載された日記「隔蓂記」の筆者は 【鳳林承章】
13.修学院離宮客殿にある「天下の三大名棚」の名は 【霞棚】
14.修学院離宮内にあった御庭焼の窯を再興した人物は 【霊元法皇】
15.桂離宮を造営した宮家の父子は 【八条宮智仁親王 八条宮智忠親王】
16.桂離宮造営について記されている灰屋紹益の著書は 【にぎはい草】
17.桂離宮を「永遠なるもの」と絶賛したドイツの有名な建築家は 【ブルーノ・タウト】
18.桂離宮新御殿にある「天下の三大名棚」の名は 【桂棚】
19.淀藩二代藩主で宇治の興聖寺を再興した人物は 【永井尚政】
20.丸太町橋北側、鴨川西岸に面した書斎「山紫水明処」で『日本外史』を著した儒学者は 【頼山陽】


発展問題

★豊臣秀吉の京都都市改造により石柱の橋として架橋された三条大橋の作事奉行は 【増田長盛】
★豊臣秀吉によって造られた国の史跡に指定されている9カ所の土塁「 御土居 」の中で、境内に御土居の遺構が残る寺院はどこか 【盧山寺】
★豊臣秀吉が築造した初代伏見城の別名は 【指月城】
★伏見の銀座は、後に洛中に移転したがその場所は 【両替通】
★高瀬川を開削された当初の目的は 【方広寺の再建用材を運ぶこと】
★京都御苑内に残る宮内省管理の皇室関連施設は(3つ) 【京都御所】【京都大宮御所】【京都仙洞御所】
★修学院離宮造営の様子が記載されている、近衛家熙の言行を侍医であった山科道安が記した日記は 【槐記】
★京都市街が一望でき、修学院離宮を代表する絶景地にある建物は 【隣雲亭】
★桂離宮造営について記されている鹿苑日記の著者は 【昕叔】
★淀殿が居住したことで知られる淀城跡の石碑がある寺院の名は 【妙教寺】


豆知識

<伏見城>
初代:指月伏見城、慶長伏見地震で倒壊
2代目:木幡山伏見城、豊臣秀吉終焉の地、血天井の逸話
3代目:徳川家康により築城、将軍宣下(家康、秀忠、家光)
遺構:豊国神社唐門、西本願寺唐門(日暮門)、御香宮神社表門など

<血天井>
京都市:養源院、宝泉院、正伝寺、源光庵、天球院、栄春寺
宇治市:興聖寺
八幡市:神應寺

<京都御所の主な施設>
建礼門:天皇皇后および外国元首級のみが使用
朔平門:猿ヶ辻の変(朔平門の変)
宜秋門:公家の通用門
清所門:通年参観の出入口
道喜門:御粽司 川端道喜専用の出入口
紫宸殿:正殿で最重要の公的儀式を執行
清涼殿:天皇居住の場
小御所:「小御所会議」開催場所
御常御殿:天皇の日常生活の場
春興殿:大正天皇即位時の神鏡安置場所

おわりに

先日、「京都非公開文化財特別公開」開催が発表されました。
期間は令和7年3月2日(土)~9日(日)
公開されるのは、以下の2寺院です。
・相国寺法堂(重要文化財)・方丈・浴室
・光源院【相国寺塔頭】
個人的には、光源院の本堂南庭「十二支の庭」が気になっています。

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京都御所 紫宸殿

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