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【京都検定学習帖】 大覚寺 #0.5 *
昨日の問題の解答です。
■大覚寺を学ぼう 解答【太字】
1.真言宗大覚寺派の大本山、山号は 【嵯峨山】
2.淳和天皇の皇后(【正子内親王】)<嵯峨天皇の皇女>が嵯峨天皇の離宮であった(【嵯峨院】)を寺に改めた
3.(【清和天皇】)から大覚寺の寺号を賜って、開山を(【恒寂法親王】)<淳和天皇の皇子>とした
4.(【後嵯峨上皇】)、(【亀山上皇】)、後宇多法皇が入寺して大覚寺統(南朝)を形成
5.北朝の(【持明院統】)と皇統を争ったが、明徳三年(1392年)に南北朝合一となった
6.客殿の主室である御冠の間の帳台構えに施された框(かまち)は、(【嵯峨蒔絵】)の名で知られている。
7.狭屋の間の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」の作者は 【渡辺始興】
8.宸殿は元和五年造営の(【東福門院和子】)の女御御殿を下賜・移築されたと伝わる。
9.宸殿襖絵の「紅白梅図」「牡丹図」の作者は 【狩野山楽】
10.本尊五大明王像(重要文化財)の作者は 【明円】
11.大沢池の庭湖石は(【巨勢金岡】)が立てたと伝わり、中国の(【洞庭湖】)を模したとされる
12.小倉百人一首にもある「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」の歌の作者は 【藤原公任】
13.この歌に詠まれている滝の名は 【名古曽滝】
14.大覚寺は華道(【嵯峨御流】)の総司所である
15.嵯峨天皇の命日に行われる祭の名は 【華道祭】
★南北朝合一時の将軍は 【足利義満】
★南北朝合一時の天皇は、北朝(【後小松天皇】)、南朝(【後亀山天皇】)、南朝から北朝に三種の神器が引き継がれた
★嵯峨天皇が大沢池にて、中秋の名月に舟を浮かべ、文化人・貴族の方々と遊ばれたことから始まったとされる行事は 【観月の夕べ】
★小倉百人一首の撰者は 【藤原定家】
★大正天皇の即位式に使用された饗応殿で、嵯峨天皇直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置する、60年に一度(戊戌の年)開扉される建物の名は 【勅封心経殿】
いかがでしたか。
1~15はすべて公式テキストの記載があります。細かい箇所の問いもありますので、すべて答えられなくても問題ありません。
1級を目指す方は、テキストを丁寧に読み込み答えられるようになっておくことを目指してください。
下線部は、今回問題にはしませんでしたが、重要な箇所ですので、作者とセットで覚えましょう。
<大覚寺>
・本尊ー五大明王像ー明円
・「野兎図」ー渡辺始興
・「紅白梅図」「牡丹図」ー狩野山楽
★は派生問題です。今後も、派生問題は適宜、出題する予定です。
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