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【京都歳時記】後七日御修法(東寺)

後七日御修法(ごしちにちみしほ)はもともとは、唐の不空三蔵が皇帝のために始めたという例にならい、弘法大師が宮中で始めた修法です。元々宮中にある「真言院」が会場でした。承和2(835)年に空海の発案により始まったこの仏事は、玉体安穏や五穀豊穣などを祈ることが目的で、東寺長者が中心となって執り行われる真言宗の最重要儀式です。宮中で1日から7日にかけて神事で儀式が行われ、その後に仏事で儀式を7日行うことから、「後七日御修法」と呼ばれています。
 
1000年以上の歴史を持つ宮中行事でしたが、明治4(1871)年に廃仏毀釈の影響を受け、一旦廃止されます。その後、復活を望む声もあり、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)後の明治16(1883)年に、今の灌頂院で行われるようになりました。堂内西側に金剛界曼荼羅、東側に胎蔵曼荼羅を安置して、それを一年交代で本尊として修法します。後七日御修法は現在、真言宗の最高の儀式とされ、毎年勅使を迎えて、真言各派を代表する高僧14人が出仕し、正月8日から14日まで(7日間の修法を行うことから後七日という)の間、厳重に執り行われています。
 
勅使が、天皇の御衣を納めた唐櫃をその年の大阿闍梨に渡す「御衣伝達式」を行なった後、御衣を灌頂院道場に安置され、真言宗各山の高僧15人が参列し、7日間にわたり、21座の加持祈祷を勤めます。また、息災護摩壇・増益護摩壇・五大尊壇・十二天壇・聖天壇・神供・観音壇などを設け、それぞれの配役の高僧が同時に修法されており、密教最高の儀式として尊ばれる由縁となっています。儀式は非公開ですが、本坊から灌頂院へ向かう僧の上堂の列は威厳に満ちています。

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