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京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第10回(臨済宗 長慶院住職 小坂興道)

私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
2020年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画をスタートしました。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!
前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第9回

第10回 臨済宗 長慶院住職 小坂興道

SottoがNPO法人として認証されたのが2011年ということで、これを書いている現在としてはもう11周年目に入ったということになるのですが、まる十年という月日にはいろいろと感慨深いものがあります。

2011年3月11日は、言わずと知れた東日本大震災の起きたその日ですが、私にとってはその日の未明に友人が自死で亡くなった日でもありました。それからおよそ半年、遺族に関わって生活の立て直しの手伝いのようなことをしていましたが、そちらが手を離れた10月ごろから被災地支援に本格的に関わることになりました。

被災地では他では話せないという、とても複雑で胸の詰まるような思いをたくさん聴くことになりました。

「なぜ生き残ってしまったんだろう」

「私の方が死ねばよかった」

「これから何のために生きなければならないのかわからない」

あれだけ多くの命が失われて、これ以上ないくらい命の大切さが自覚される中で出てくるこうした言葉に私は何と返せるのだろう。目の前の出来ることをやりながらもどこか大事な問題を置き去りにしているような気がして、悶々としていたのを覚えています。

その頃に京都府のゲートキーパー養成講座の案内が来ました。私の中で引っ掛かりになっていたことを解く何かしらのヒントになればくらいの気持ちで受講しようと決めました。私の中で引っ掛かっていたこと、それは一つには自死した友人の遺族と良い形で手が離れたのではなかったこと、もう一つには被災地で投げかけられた死にたいほどの気持ちにどう向き合えば良いのか、ということでした。

その養成講座を請け負っていたのがSottoで、私はそこでSottoと出会いました。この講座を受けた後、Sottoのボランティア養成講座も受けることになったのですが、興味深かったことは、Sottoの姿勢として相談者の気持ちをそのままに受け取るということでした。それは「死にたい」という言葉に「死んではいけないよ」とか「そんな風に考えないで」という言葉がけはしないということです。それは言葉を掛ける側の価値観や思いを押し付ける形になるからです。死にたいという言葉の奥にある生きづらさや孤独、悲しみを想像しながら、「こんなにも苦しいのだもの、死にたくもなるよね」と心からその人のそばに居ようとすることすること、それがとても新鮮に映りました。

このことが腑に落ちてくるほどに、自分に欠けていたもの、自分が求めていたものが見えてきたように思えました。友人の遺族に対しては、その時考えられる最善の手立てを取るようにと関わっていました。確かに生活の再建は早かったかもしれないけれど、本人は気持ちを置き去りにされて苦しい思いをしていたのでしょう。

被災地では「死にたい」という言葉に、僧侶として宗教的な切り口ばかりで関わるのではなく、その言葉の奥にある気持ちを想像しながら関わることで関係がずいぶん近くなれたような気がします。そうするとかえって宗教的な言葉もずっと伝わりやすくなります。

そうして僧侶としての活動にも良い影響が出ました。

以来、Sottoの活動に関わり続け8年目に突入しているわけですが、気が付けば去年からは研修委員長として新たなボランテイアを養成し、受け入れる側になりました。私自身と同じように、Sottoと関わって良かったと思ってもらえるようにと考えています。

またそうして増えた仲間がSottoを必要としている方の助けになりますようにと願っています。

次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第11回

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