京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第9回(ひろしま Sotto 代表 武田慶之)
私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
2020年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画をスタートしました。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!
前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第8回
第9回 ひろしま Sotto 代表 武田慶之
私の立場としては、Sotto の設立前史をそっと語ろうと思います。2007 年、日本での自殺者数が 10 年連続年間 3 万人という報道が盛んになされ、本願寺の中でも、自死という社会的課題を何とかしなければという機運が高まっていく中、私は教学伝道研究センター(現・総合研究所)の研究員として、この課題を担当することになりました。立場的には論文を書けばいいのだろうと考えていましたが、現場で奮闘する方々に出あうたびに「これは机上の空論では終わらせてはいけない」という気持ちが強まっていったのです。ところが、いま正直にいうと社会的な関心が高まる一方で、宗派内の動きの鈍さに苛立ちを募らせることもありました。
そんな中、2009 年 3 月に築地本願寺で開催されたシンポジウムが今でも頭に焼き付いていて、ことあるごとに思いだされます。私は提言者兼コーディネーターとして登壇したのですが、そのコンセプトは、当時、第一線で活躍されていた NPO 法人の代表を招聘して、その方から仏教界へのエールを送ってもらうという予定でした。ところが蓋を開けてみると、寝る間もなく骨身を削って頑張っている NPO に対して、仏教界は何もしてないという図式になってしまい、質疑応答ではかなり厳しいご意見をいただくこととなりました。私は針の筵という心境でした。その状況で若い女性が声を震わせながら、「苦しいんです。たすけてください」という思いを打ち明けられました。私は何も応えられなかったのですが、その時に感じた思い、その光景が今の私につながっています。
その後、状況が急転して Sotto の設立へと至ったのですが、そこも一筋縄にはいきませんでした。ひろしまSotto の立ち上げも不安と負担などから気乗り薄な気持ちもありましたが、あの時の「たすけてください」という言葉が頭をよぎり、「やらざるを得ない」という思いだけでした。
そしてまた、Sotto の初代理事長の清水信二先生のお言葉が思い起こされます。私が研究員として自死を研究課題として与えられた時、この分野について調べたところ、清水先生にたどり着き、最初にご助言をいただいたのが清水先生でした。
その面談の時、最後にご教示いただいた言葉が、「打ち上げ花火はいりません。10 年、20 年と地道に活動を続けてください」というエールでした。Sotto 設立から 10 年を経たいま、とても感慨深く思いだされます。
今後も 20 年、30 年とブレることなく続いていけばと思うことです。