京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第12回(浄土真宗本願寺派総合研究所所長 兼 東京支所長 丘山 新)
私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
2020年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画をスタートしました。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!
前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第11回
第12回(浄土真宗本願寺派総合研究所所長 兼 東京支所長 丘山 新)
よく知られているように、釈尊の教えでは、この世での人生は苦だとされます。そういう意味では、人生を苦だと感じている人のみが、仏教を学ぶ資格、条件を備えていることになります。しかし、大学の仏教の講義などで「人生は苦ですか?」と問いかけても、それに肯定的に応答する学生はほとんどいません。どう考えたらいいのでしょう?さらに釈尊は、「解脱」しない限り、この人生を終えても苦しみの生存は限りなく繰り返されると説きました。
でも現代社会に生きる私たちは、苦しく辛いときもあるけれど、また楽しいこともあるんだという楽観的な思いで日々の生活を送っているのでしょう。それに科学がいくら発達しても来世のことなど知ることはできないのですから。
Sotto のような自死に関する相談センターの活動に依るのでしょうが、一時期は毎年3万人を超えていた自ら命を絶つ方々の数も減少しつつあったのが、続くコロナ禍のなかで、亡くなる方が、特に若いかたがたの中で増えているとのこと。なぜなのでしょう?『新約聖書』のなかに、パウロの言葉として「信仰、希望、愛のうち、最も大切なものは愛だ」という句があります。「信仰」ではないことも興味深いし、「愛」だというのも「いかにも」という感もありますが、私はなぜか「希望」が好きです。なぜなら「絶望」がもっとも嫌いだから。
Sotto の活動が、十年の経験を活かし、絶望に押しつぶされそうなかたがたにとって、一筋の希望の光となってほしいと切に願っています。
次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第13回