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嵐山のお寺と言えば…天龍寺

天龍寺は、嵐山にある、一番大きくて目立つお寺です。

なので、嵐山に来たら必ずと言っていいほど、訪れるお寺ではないでしょうか?

修学旅行で嵐山に来た学生さん達も、やはりこちらに立ち寄ります。


場所は、嵐電の嵐山駅から右斜め前すぐのところで、JRの嵯峨嵐山駅から歩いていくと、道の突き当りが天龍寺になります。

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元々は、平安時代、嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子が開創した禅寺・壇林寺があり、渡月橋や亀山公園までも境域とする、今よりもさらに大きな寺院だったのが、皇后没後急速に衰えて廃絶、その跡地に建てられたのが天龍寺です。

(因みに、奥嵯峨にある祇王寺の近くにある壇林寺は昭和39年に建てられ、平安時代の壇林寺とは関係のない、骨董屋とのこと。見た感じから普通のお寺とは違う感じがします…)


天龍寺は、足利尊氏が開基、夢想礎石が開山。

後醍醐天皇を弔うために建てられたお寺となります。

後醍醐天皇は、鎌倉末期の天皇です。

この辺りの歴史はややこしいのですが、簡単に説明してみると、後醍醐天皇は足利尊氏・新田義貞など鎌倉幕府に反対する武士と一緒に戦い、天皇に実権を戻して、建武の新政をはじめた人ですが、武士たちの不満を抑えることが出来ず、結局は足利尊氏に京を追われてしまいます。

足利尊氏は、新しい天皇を立て、室町幕府を開き、それに対抗して、後醍醐天皇は吉野で南朝を開きます。

ここに南北朝時代が始まるのですが、後醍醐天皇はそのまま吉野で亡くなってしまうのです。

天龍寺は、そんな、後醍醐天皇を、足利尊氏が弔うために建てたお寺という訳です。

実際に、天龍寺の方丈の奥、渡り廊下を伝って行く多宝殿は、後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂となっています。

(本当に渡り廊下を延々と行きます)

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この天龍寺をはじめてガイドする時に、一度、学生だけでなく、先生も一緒に聞きたいとついてこられたことがありました。

学生たちが各班に分かれて観光している時、先生はみんなが立ち寄る観光地で、みんなが予定通りに観光に回っているかポイントチェックをされていることが多くて、この時たまたま、一緒に回っていた班が最後だったみたいで、お役目が終わったから一緒にということになったのです。

(えー、ちょっとやめて)と思いつつも、断ることも出来ないので、かなりドギマギで案内させていただきました。

で、やはり、学生からは飛び出さない質問がやってきたのです。

ちょうど多宝塔で説明していた時、こちらの襖に獅子の絵が描いてあり、

「この襖の獅子の絵はどういう意味なのですか?」

と。

まさかそんな質問をされると思っていなかったので、これもドギマギしながら、

「獅子という強い動物を描くことで、権威の象徴になるからだと思います…」

と答えたのですが。。。

これも、間違いでは無いとは思うのですが、後で調べた本当の理由は、

「獅子身中の虫」から描かれているとのことなのです。

これは、天龍寺だけに限らず、お寺で描かれる襖絵に良く使われるモティーフのようです。

意味は、「組織の中にいながら害をなすもの」「恩を仇で返すもの」というような意味の、仏の教えとなります。

後醍醐天皇と足利尊氏の関係を考えた時に、この獅子の絵の含蓄には唸ってしまいます。

あの時質問してくれた先生にも、この話を教えたい!

質問をくださったお陰で、また一つ賢くなったのでありました。。。



ということで、室町時代初期に建てられた天龍寺ですが、何度も火災に見舞われて、その数はなんと8回。

一番新しい火災は、元治元年(1864年)。

これは、幕末の蛤御門の変の時に、長州軍の陣営となり、兵火のために焼失をしてしまいます。

その後、順次復興をしていきますが、明治時代に上地令で敷地が縮小し、以前の1/10になったそう。(今でも十分広いと思いますが、どんなけ広かったんだろうという感じです)


天龍寺の庫裏や法堂、方丈などの主な建物は、明治時代以降の新しい建物となっています。

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こちらか、庫裏でここから拝観となります。

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入ったところに、大きな達磨図があり、目を引きます。

前管長の平田精耕老師の筆で、禅宗の天龍寺の顔となっています。


方丈は、大方丈と小方丈(書院)があります。

大方丈には、龍の襖絵を見ることが出来ます。

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保護のためのガラスが反射して写真が見にくいですが。。。

昭和32年に物外道人によって描かれたもので、富岡鉄斎の孫弟子とのこと。

この絵を描いた4か月後に70歳で亡くなられたそうです。。。


ガラスに映っている庭は、こちら。曹源池庭園と呼ばれ、700年前に無窓礎石が作った当時の面影をとどめているそうです。

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天龍寺の庭は広くて、ぐるっと北門まで巡ることが出来ます。


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北門を出ると、そこは、嵐山で有名な、竹林の小径となります。

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そして、嵐山の観光は、まだまだ続くのです…

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