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便利堂ものづくりインタビュー 第12回 前編

第12回:本城克彦 聞き手・社長室 前田


環境が育んだ職人へのあこがれ

───本城さんは便利堂へ入る前から写真を勉強されていたんですか?
「いやいや全然。うちの家は昔、西陣でネクタイ織の会社をしていました。父や兄が図案を考え、デザインを起こし、織機で織った生地がどんどん仕立てに上がってくる。そこで家族が休みなく仕事をするのを目の当たりにしていたからか、一人前になるまでの厳しさも含めて、技術は苦労して身に付けていくものだと考えていました。職人がいる環境で育ったこともあり、漠然とですが何かを表現する人になれたらと思っていましたね。」

───修行の厳しさは覚悟の上だったと。
「はい。大学の就職部で便利堂を紹介された時、「カメラは面白いかもな」と思いました。面接にはたくさんの人が来ていて、その中には有名な写真家のお弟子さんもいたそうです。でも「まったく写真を知らない方がきっと会社になじむから」とあえてまっさらな僕を採用してもらいました。」

どんな場所でも撮る。それが便利堂の強み

───というと?
「便利堂写真工房の仕事は文化財撮影がほとんどです。文化財と一言で言っても、建築も撮ればお茶碗も撮る。お軸や巻物、仏像や刀など、被写体はそれこそ様々です。しかも撮影はスタジオのような整った環境ではなく、お寺のお堂や個人宅など文化財のある様々な場所で行います。どんな場所でも撮る。それは便利堂写真工房の一番の強みかもしれません。」

屋外の撮影
建物内での撮影

───緊張感のある現場なんでしょうね。
「ピリピリしていましたね。何も知らないまま現場へ入っていたら緊張で大変だったと思います。
でも、荷物持ちから参加したことで次第にどんな場所でも平常心でいられるようになりました。お寺のお堂の中って外みたいに明るくないんです。暗いところにコードを這わせてスタンドを立て、仏さまより上からライトを当てるから「こけへんように持っとけ!」とか、足を引っかけないようにコードは手繰っておくとかね。「はよ取ってこい!」って言われて急いで走ると怒られる。暗いところでは絶対に走ったらあかんと。先輩の立ち居振る舞いからいろんなことを覚えました。
そうそう、僕らが現場で使うコードはこたつのコードなんですよ。よくある塩化ビニールのコードは寒いとかちかちに固くなるからお堂の中を傷つけてしまう。その点こたつのコードは布が巻いてあってやわらかいでしょ?」

様々な撮影機材を用いた撮影

───経験の中で生み出された工夫ですね。
「何ひとつわからない僕の前で先輩たちは「ライトこうしよか」「いやここはこうやな」とぱぱっと決めていく。かっこよかったですね。それを見てなんでこうするのかな?といつも観察していました。考えてもわからない時は先輩に聞いて覚える。するとだんだん緊張感のある場でもやるべきことがわかり、手を動かせるようになっていきました。」

一世紀を超える文化財撮影への取り組み

───技術が少しずつ手渡されていきます。ところで写真工房の歴史は長いですね。
「現存する文化財撮影に特化した写真工房としては最も古いものの一つです。明治20年に便利堂が創業したのち、明治38年には社内に専属カメラマンを置いた写真工房の体制ができました。以来、一世紀以上に渡って文化財撮影を続けてきたので、僕らはその草分けだと自負しています。」

昭和14年 当麻曼荼羅原寸大撮影のようす

───今はデジタルですが、本城さんが入社されたころはフィルム撮影でした。
「今ならモニターで確認できますが、フィルム撮影は一発撮りですから今とは緊張感がまるで違いました。出張先で撮ったものでも帰って現像するまではわかりません。モノクロ撮影も当たり前にあって、現像も自分たちでやっていました。モノクロ撮影は「撮影」、「フィルムの現像」、「プリントの焼き付け」が一連の流れです。朝、会社へ来たら焼き付けのための現像液を溶いておき、暗室一日中でプリントを焼く。今思うと写真の理屈は手を動かして覚えました。」

10秒の光を覚えろ

───まっさらだった本城さんがどんどん知識を吸収していかれます。
「当時、繰り返し作業することで身に着けた感覚は、今も自分の考え方の基礎になっています。例えば、暗室作業で最初に教わったのは「10秒の光を覚えろ」ということでした。
暗室作業をする時に大切なのは光の濃度です。暗闇の中、焼き付け用の引き伸ばし機にフィルムをセットして機械の明かりをつけると、撮った写真が映し出されます。この時、印画紙にどれくらいの明るさの光を何秒当てるとどんな調子の写真を焼き付けられるのか、先輩から教えられたのはその感覚を覚えろということです。思い通りの写真を焼き付けるためにはこの感覚が大切なんです。
毎日この作業をするうち、いつの間にか、ネガが濃かろうと薄かろうと、フィルムの調子に応じた光と時間の調整ができるようになりました。自分で写真を撮るようになってからも、この時、身につけた光の感覚にずいぶん助けられました。」

暗室で説明する本城さん

───どの作業もつながっているんですね。
「長い時間をかけて育ててもらいました。今思うと僕は負けず嫌いだったんでしょうね、早く自分で撮りたいなと思っていましたから。先輩に言われましたもん、「本城、写真ってチームで撮るけど自分で撮るともっとおもしろいで」って。」

写真は準備が90%

───そう言われると気がはやりますね。何年くらいかかりましたか?
「僕らの時は10年で一人前でした。ありがたかったのはその10年の間にあらゆる文化財撮影に同行できたことですね。先輩からは「写真は準備が90%」と教わりました。とにかく準備をしておけと。高松塚古墳壁画を撮影された大八木威男さんが「一日100カット撮る時に10秒遅かったらそれ掛ける100で16分、1分遅かったら100分、つまり1時間半も遅くなるんや、はよせい! 」と怒っていたのを覚えています。つまり早く出来るということは頭の中で組み立てがきちんと出来ているということ。こんな風に撮るなら何が必要なのか、どのタイミングでどの機材を手渡すのか、きちんと想像しておけということなんです。」

───準備の中にはシュミレーションも入っていると。
「大八木さんと二人で正倉院の図録撮影に行きましたが、とにかく決断が早い。悩まない。撮るのも早い。こういう時はどう撮るのかが全てわかっているとそばで見ていてよくわかりました。大八木さんは厳しかったしこわかったけど、ありがたいことにかわいがっていただきました。「お前は最後の弟子や」と言ってもらった時はうれしかったなあ。」

難しい環境でも最高のものを

───いよいよご自分で撮る時が来ます。いかがでしたか?
「これが先輩の言っていたことかと思いましたね。自分でレンズをのぞくと、それまでとは違う景色が見えました。初めては風景かな。やっぱり緊張しましたね。先輩に「70点やな」「もうちょっとこうしたらよかったんちゃうか」とか言われて。初めの頃で一番覚えているのは18年くらい前、先輩なしの3人で出かけたお寺さんの仕事です。4×5(シノゴ)のカメラを使って仏様や書物を撮影しました。行く前からどう撮ろうか、どう表現しようかさんざん考えて出かけたら、事前に聞いていたよりもずっと狭い場所での撮影で、こんなところで撮るのかとびっくりしました。」

───いきなり便利堂ならではの「どこでも撮る」ことに!
「大変でしたねえ。今でも現場へ行ってからの大変さはあります。聞いていた以上に狭い、思った以上に被写体が光る。狭くてライトの逃げ場がないと光が必要以上に強く当たってしまいます。じゃあどうするか。そこが難しくもあり面白いところです。狭かったり暗かったり、そんな環境でいかに自分たちが最高のものを作り上げるかというところが面白いんですよ。」

───前編はここまで。次回の後編では文化財撮影の裏側に迫るほか、写真工房の新しい取り組みについてもお聞きします。お楽しみに!

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