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記憶を辿る44

『 父との休日 』

徒然と綴ったこのコラムも50回を迎えた。
ここに至るまでに「よぉ覚えてんなぁ」「そない有名人ちゃうねんし」「自分で書いてんの」などと揶揄されるが、こういう事があると自死を考えた頃ではない自分、超絶ポジティブヒーローだった頃を思い出し奮起するようにしているから全く効き目はない。
それにそう言ってくる人ほどよく読んでくれている(笑)

あとこうして続けられているのも、食レポや自身の趣味に頼った内容だったが、10数年間1日も欠かさずブログを書いてきたのは大きい。今となっては財産だ。
少林寺拳法を習った道場が提唱していた”継続は力なり”。
これが私の中でリフレインされていたんだ、何事も無駄はないとつくづく思う。


さて今回は閑話休題として、父と過ごした休日の話でもしよう。
小さい頃から、生業として京都と大分をフェリーで往復していた父は、家に居るようで居ない人だった。しかし京都に居る日曜日の朝は決まって映画に連れてくれた。

当時の京極や裏寺、河原町にはたくさんの映画館があった。
河原町三条北側には東宝公楽や朝日シネマ、少し南に下がって宝塚にスカラ座に京劇、京極にはロキシー、弥生座や松竹座、問題の八千代館に美松映劇。どこも小さい頃から親しんできた映画館だったが、今となってはMOVIXに集約されてしまったのが便利ではあるが何だか悲しい。

けれどゲームやインターネットなどの娯楽が増えたのも事実。
インターネットがこれだけ日常的になったからこそ、私でもこうして発信できるようになったし、興味を持って毎話欠かさず拝読してくれる人もいるのだから、時代の変化にあぁだこうだというのは、やはりナンセンスかな。

私にとっての映画とは、日曜日の朝という認識が強い。
規則正しい生活を送る父は朝が早かった。

子育ての多くを母に委ねていた労いという面もあっただろう。
近所の喫茶店へ行くようなモーニングムービーだった。まだ眠い目を擦りながら、朝イチで放映される映画に連れてもらう。

前日に何を見たいかを新聞で決めていたが、常に子供向けアニメがやっている訳ではないから、大人の映画を一緒に見る事も多かった。私がアニメに惹かれない原点はここにあるかもしれない。

私が好んだのは13話にもあるようにジャッキーチェン。
当時のチビッ子に大人気だったジャッキー映画は、ほとんど網羅していたのではないだろうか。レンタルビデオなんて小学校の高学年までなかった時代、映画は娯楽ヒエラルキーのトップだった。

父もまた中高生の頃は京極や河原町の映画館に通ったらしい。
彼は西部劇が大好物で、よくフランキーレインの”ローハイド”を口ずさんではピストルを打つ真似をしていたのを思い出す。荒野を舞台にした西部劇での撃ち合いは、青年の心を鷲掴みすることは簡単だったはずだ。

父に連れられる映画館では必ずパンフレットを買ってもらった。
そのパンフレットを映画が始まるまで眺めれば心が躍る。

指定席はなく全て自由席だった。


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