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記憶を辿る52

『 アメリカの地 』

サンフランシスコ経由ソルトレイク行き。
関空から約10時間、サンフランシスコに降り立っただけで、新しく買ったスーツケースの車輪は取れていた。物へのぞんざいな扱いに対して、これから起こり得るアメリカでの未来に、緊張と期待が膨れ上がった事を覚えている。
そこから約2時間ほどのフライトでソルトレイクに着くと、幼馴染のUが出迎えてくれた。
2002年の冬季オンリンピックが決定してからは、ソルトレイクも大きく発展したと聞くが、私の訪れた時はアメリカ田舎州ランキングの上位だった。あるのはモルモン教本山と、どこまでも長く続く山並みと高速道路のような国道のみ。
私がロサンゼルスで味わった開放的な都会の空気感とはまた違ったが、それでも果てしなく広い空は同じで、アメリカ大陸に来たのだと実感する。
Uはソルトレイクから、これまた車で約1時間ほど走ったオグデンという小さな町に住んでおり、木造2階建てのアメリカらしいアパートメントは、日本では到底考えられないほどの優雅な生活だった。
玄関から反対のリビングを出ると100mほどある円形の芝生ゾーンがあった。
そう、周囲の部屋と共有で使う庭だった。
ふかふかの絨毯がひかれた廊下の奥に、4人ほど座っても余裕のあるソファ。
10人は雑魚寝が出来るであろう広いリビングの横には、今でこそ日本のマンションでも当たり前になった対面キッチン。2階には大きなクローゼットのある部屋が2部屋とバスルーム。正にアメリカドラマに出てくるようなアパートメントをシェアしながら留学生活を謳歌していた。

その円形に組まれたアパートメントに日本人は皆無で、共有園庭の向こうにはネイティブアメリカンの血を引くマーカスと、隣には私と同じような過去を辿ったであろう白人2人、マイルズとクリスが住んでいた。

後にマーカスからは「お守りだ」と言って自身が付けていた”お守りの首輪”を頂き、マイルズからはアメリカの”イケテル奴”を見よう見真似で授けて頂いた。

こうしてアメリカでの生活が始まった訳だが、Uやその周りが生活しているスタイルの全てが新鮮だった。ガロン級のジュースや柔軟剤の入れ物、広大なスーパーにあるシルバーのカートを押す姿、なんでもかんでも乾燥機に突っ込む習性や、シャワーの頻度の多さなど(笑)
インプットが多くて立ち上がりは絶好調。

起床すると近所のカフェに行くのが日課。
このカフェに行くとUの周りの人間が必ず誰かいた。
オグデンに居た間は、必ずこのカフェの「 What’s Up 」から始まり、夜は友人宅で何々をするけど来ないか? 今度クラブでこんなイベントがあるんだなど、20代の日本人と余り変わらない会話がそこにはあった。

とはいえ新参者の私が会話に参加できるはずもなく、Uと彼らの会話に聞き耳を立て、ネイティブの発音する英語に慣れるよう努力した。

セブンアップ = セブンナッ
カフェモカ = カフィモォカ
カマロ コンバーチブル = キャマァロ コンバータボー

こんな感じで日本人が話すカタカナ語は、全く歯が立たない。
しかも向こうは普段通りで会話は早く、途中で出たワードを頭の中で変換している内に会話は終了。聞いたワードだけ抽出して答えようものなら全員が「????」となっていた。
そして私はすぐに身振り手振りの日本語を話し出す。
お先真っ暗、よくある日本人の典型だった。

Uの住む町にはなかったが、ソルトレイクまで行けば日本食スーパーがあった。
最初はバーガーキングだタコベルだと被れていたが、すぐに”醤油ベース”の味が恋しくなる。Uやユタにいるであろう日本人が足繁く通っていたスーパーだったが、驚くほど値段が高かった。


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