記憶を辿る53
『 ピチピチビーチ 』
マイアミ国際空港には、湿気が多く汗ばむ夜に降り立った。
大西洋とメキシコ湾に囲まれるマイアミは、バハマやキューバ、アトランティス大陸が眠っていると言われる”バミューダ海域”がある熱帯地域だ。暑いのも当然である。
ソルトレイクでは秋の過ごしやすい時期だったから、同じ国内でこうも違うのかと思った。
それもそのはずで、ソルトレイクからマイアミへは約5時間のフライト。日本国内では札幌から沖縄まで飛んでもまだ足りない。同じ国内で時差が存在し、国土の広さを思い知る。
空港から目的地であるマイアミビーチへはタクシーを使った。
頭に叩き込んだ”地球の歩き方”には、犯罪率も全米トップクラスだから気をつけなさい!と書かれてあり、夜遅くに南米の人が運転するタクシーに乗り込むには勇気が必要だったのを覚えている。
宿泊するマイアミビーチへの道中、どこから来たんだ、何しに来たんだ、マイアミは良いぞと言った具合で会話を続けようとするが、なかなか続かなかった。
「 From Japan 」
「 Japan? SAKE? SUSHI? KYOTO? 」
知っているワードを並べてくれた中に”京都”が入っていたのが嬉しかった。
この日の宿泊予定はマイアミビーチのユースホステルで、ここを拠点に2週間ほど滞在する予定だった。タクシーがユースホステルに着き、チェックインを済ませようとしていると、聞き馴染みのある言語で「 おぉ〜日本人がいた、一緒の部屋に泊まりましょう! 」と被せて受付に伝える日本人のおっちゃんが現れた。
本当に唐突に現れ、驚きを隠せずにいると「 大丈夫大丈夫、俺は日本人だから 」と言って、勝手に私の分まで受付を済ませた。なんとなく嫌な予感はしたが、見知らぬ土地の慣れない場所での出会いに気を許したのが運の尽きだった。
ベッドNo.が書かれたカードを各々が貰い、部屋へと向かう。
そこは大部屋で2段ベッドが4列、それぞれのベッドにナンバーが振り分けてあり、詳しい数字は覚えてないが、仮に私がNo.30を持っていたとすると、デリカシーのないおっちゃんはNo.31。
私が自身のベッドナンバーを確認するかしないかの間合いで、そのおっちゃんは「 受付の人は、俺がNo.30だと言っていた」と謎の言動で私からNo.30を奪い取った。
この行為に呆気に取られていると、そのおっちゃんは2段ベッドの下を陣取る。
ここでようやく私は奪い取られた理由に気付いたのである。
おっちゃんは下が良かっただけでなく、2段ベッドの枕元にはクーラーがあったのだ。
日本製のあらゆる機能が付いているような静かなエアコンではない。
アメリカの薄汚れたホステルに、かろうじて付いているようなエアコンだ。
部屋に入った時から”グッウゥゥン”と鳴っていた大元が一晩中、私の枕元で鳴り続けるのを想像するだけでも気分が良くない。しかも私は元々2段ベッドの下を正式に与えられた身である。余計にこのおっちゃんに腹が立った。
「 おっちゃん、せこいことせんといて〜や。カード返して 」
「 せこいって? なんのこと言ってんの? 」
はぁぁぁ??? である(笑)
「 俺が貰ったベッドカードを、おっちゃんが無理矢理とったんやん 」
「 いや〜俺が元々このNo.30だと言われていたんだけどね 」
突拍子もない攻め方と恐ろしいほどに図太い人を前にし、単身のアメリカでこれ以上言葉を返す事もできず、泣く泣く2段ベッドの上で寝ることになった。
自分自身の情けなさと収まらない怒りを鎮めようと一旦部屋を出て、中庭で一服して戻ると、そのおっちゃんは既にイビキをかいていた。周りの白人が怪訝そうな顔で寝返りをうっていたのを思い出すが、共同のシャワールームに静かに入り、寝支度を整えベッドに戻るが荷物が置けない。
枕にしようとするとクーラーに当たって振動が伝わってくる。
180度回転したら今度は足元が寒すぎる。
旅の疲れで眠たいはずが寝るに寝られず朝を迎えた。
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