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記憶を辿る26

『 ダイヤモンドスキンヘッド 』

当時は様々なジャンルの音楽が生まれていた時代で、ニルヴァーナやスーサイダルテンデンシーズに代表されるグランジファッションにも火が付いていて、バンダナを目出し帽のように巻くスタイルも好きだった。
ハードな音楽を聞く傍らファッションも同時に楽しんだ。

きっかけはRと同じ地元の輩達。
彼らはチーム名を決め、メンバー全員がグランジファッションで固めており、集団で八千代公園に現れた時の光景は、今でもすぐに目に浮かぶぐらい渋かった。

速攻でブロックチェックのネルシャツを買いに走ったことを覚えている。
彼らのほとんどがスーサイダルのバンダナで決めていた事もあり、こちらの仲間はブラック1色のバンダナとリストバンドで統一した。

当時の渋谷でムーブメントとして起こっていたチーマーを踏襲した感じで、仲間意識を高めるための制服のような物だった。
今では考えられないが、当時はナイフの所持や購入も免許証や身分証の提示が不必要だった事もあり、1人何本もバタフライやジャックナイフを所持し、八千代公園の前でカシャカシャと振り回して技を競ったりしていた。
ただでさえも雰囲気の宜しくなかったオーパ裏の裏寺界隈において、そのような光景は異様でしかなかったに違いない。

我々のような者に加え、浮浪者や風来坊が公園を根城に管を巻き、夜はダンサーやスケーター、おかまちゃんや売春婦などが入り乱れ出す。
警察も危険を察知していたただろうし、苦情も殺到していたに違いない。

彼らは1日何度も何度も巡回し、実際に昨日までワイワイしていた仲間や風来坊が、翌日には留置場という事は数え切れないほどにあった。もう無茶苦茶だった。

この頃の話で父親との思い出が一つある。
父親はロックンロールが 好きだったと9話に書いたが、時代を彩ったベンチャーズも好きだったようで、アメリカで売れなくなった彼らは一時期よく日本公演を行っていた。
KBS京都のCMでやっていたアレだ。
音楽が好きだと感じた父親は、これだ! と思ったんだと思う。

「 京都会館にベンチャーズ来んで、行かへんか?」

とパンクを聞いている10代にベンチャーズはないだろう? 大丈夫か?と思ったが、怖いもの見たさに話に乗ってみた。

しかし予感は的中し、京都会館へ着くとそこは正に往年の若い頃の思い出はそっとしまっておいた方が …
と感じるベンチャーズファン団だらけ。
その中にグランジファッションをして、鼻と耳のピアスが鎖で繋がった若者と親父である。
どうにもこうにも釣り合いが取れない。

手持ち無沙汰でバンダナを取ろうものなら、後ろからヒャっとかオォッなどの声が漏れてくる。
自意識過剰な年代が故かもしれないが、そこにいる人の全てがコソコソと揶揄しているように感じた。
そんなコンサートでテケテケテケテケなんぞ耳に入りようもない。

40代になった今までの人生の中でも、あれ程に場違いを体感した事はなく、TPOという言葉にTKOを食らった思い出の一つだった。

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