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「あいつの論文原稿」 作品の意図 その1

ほんとだもん! 蓮メリいたんだもん! しらゆいです。

2024年京都秘封で頒布した二次創作作品「あいつの論文原稿」の冒頭では、科学世紀における科学思想体系の変遷についての文章を登場させました。
それに関連してこのnoteシリーズでしばらく、原作に登場する"科学世紀"に関する考察を、つらつらと書いていきたいと思います。

今回考えるのは、次の問いです。
科学世紀の物理学は、我々の住む世界の物理学と地続きのものだろうか?

私の考える答えは、一部YES、一部NOです。

まず一部YESと考える理由についてです。
我々の世界の物理学では、客観的な実験・観測によって理論の正当性が判断されています。量子を記述する素粒子標準模型や重力を記述する一般相対性理論は、数々の実験・観測をクリアし、現在のところ明確な綻びの見当たらない理論として受け入れられています。
これらの理論をさらに統一する弦理論が現代では研究されていますが、これは未だ仮説でしかありません。弦理論から予想されるブレーンワールドやマルチバースのような考え方も、同様に仮説でしかありません。
もし理論の統一が真に達成されるとしたら、それは弦理論から存在が予言されるもの、例えばブレーンワールドやマルチバースといったものなどの存在を裏付ける実験・観測結果が十分に得られたときでしか有り得ません。

では科学世紀における物理学とはどのようなものでしょうか?
蓮子の考え方には、我々の世界の物理学と通じる考え方が見受けられます。たとえば、
"蓮子みたいな『客観的に見て明確な真実が存在する』という考え方"(夢違6)
"主観の外に信じられる客観がある。絶対的な真実がある"(夢違11)
"人類には観察しか許されていない"(七夕10)

"いつまで異界発見を自分だけの特権だと思い込んでいるのよ!"(七夕10)また七夕坂夢幻能では、
現代の物理学で標準とされる考え方を蓮子が復古させようとする様子も見受けられました。
"粒子の非実在性を肯定しているの"(七夕11)
*ベルの不等式の破れは、物質の局所実在性を実験的に否定したものとされています

以上のことから、少なくとも蓮子の考える物理学は、我々の住む世界の物理学に類するものと思われます。これが一部YESと考える理由です。

しかし科学世紀で標準とされる思想体系は、必ずしも蓮子の考え方と一致している訳では無いようです。たとえば、
"今の常識では、両方自分なのよ"(夢違7)
"主観が真実だって?"(夢違11)
"ブラックホールの蒸発とかが実際に観測される事も無いと思う"(大空4)
"妄言を吐く物理学者"(燕石3)
"観測不可能な物理学"(燕石3)

これらから読み取れる科学世紀の物理学は、我々の住む世界の物理学とは全く異なるものと思われます。これが一部NOと考える理由です。

では、このような食い違いがなぜ生じたのでしょうか?
一つの理由は蓮子の言うように、観測が事実上不可能になったからでしょう。
"観測する為に必要なエネルギーが膨大に成り過ぎたのよ"(大空4)
"事実上、観測物理学は終焉を迎えているわ"(大空4)
これにより蓮子の考える本来の物理学は途絶えてしまったと思われます。

その上で科学世紀では、科学思想体系の変化が起きたのだと思われます。たとえば、以下のような記述がありました。
"いかにも前時代的だわ"(夢違6)
"貴方みたいな考えの学者の所為で、夢と現を同じ物として見るようになったからよ"(夢違11)
"既に物理学は、解釈と哲学の時代に突入していた"(大空4)

一旦、まとめておきましょう。

  • 科学世紀にかつて存在した物理学は、我々の物理学と地続きのものだった

  • 何らかの事変があって、物理学を含め科学思想体系は変化してしまった


しかし、この思想体系の変化は凄まじいものです。よくよく考えると変ではないでしょうか?
ただ観測が難しくなっただけなら、そこで物理学が途絶えておしまいでも良いはずです。それなのに科学世紀では、"重力が他の力と完全に統一され"(大空7)たとされています。それどころか統一が達成されたにも関わらず、"超統一物理学"は分野として存在し、未だ"ひもの研究"(夢違6)は成されているようです。

まだまだ考える余地があるようです。
続きはまた今度。


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