昌泰の変・清涼殿落雷事件
昌泰の変
901年、宇多上皇に近侍していた右大臣の菅原道真が、娘婿にあたる斉世親王を次の天皇に立てようとしているという噂が流れた。政治的に対立の立場であった第60代 醍醐天皇や左大臣の藤原時平らによって、道真は大宰員外帥に降格させられ、903年に九州で亡くなる。
❶ 菅原院天満宮神社
(京都市上京区堀松町)
菅原道真の曾祖父から4代にわたって住んだと伝わる邸宅跡。
清涼殿落雷事件
909年 藤原時平は39歳で他界。930年 都は干害になり、清涼殿で雨乞いについての会議中に愛宕山から黒い雲が来て落雷があり、数名が亡くなり醍醐天皇も3カ月後に亡くなった。菅原道真の怨霊が原因だという噂が広まり、947年 北野天満宮が創建されて祀られた。
❷ 清涼殿
❸ 京都盆地の北西にある愛宕山
701-704年頃 役小角の創建と伝わる火難除けの愛宕神社が
ある。和気 清麻呂によって再興された。
❹ 北野天満宮
(京都市上京区御前通今出川上る馬喰町)
【全国の史跡】
『京都遠足』(P28)
https://www.worec.jp/03kyoto.html