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766-822年
父:三津 百枝(正八位下) 
母:藤原 藤子(藤原 鷹取の娘、魚名の孫)※諸説あり

❶比叡山の西麓に生まれる

生源寺(滋賀県大津市坂本)
誕生した三津氏の館に、最澄が自ら建立した寺。最澄は14歳で近江国分寺で得度して、奈良の東大寺戒壇院で受戒し僧になった。

生源寺境内の産湯井戸
伝教大師童形像(延暦寺)

❷比叡山を拠点にする

延暦寺(滋賀県大津市坂本本町)
最澄は20歳で比叡山に草庵を結び、一乗止観院と名付けた。遣唐使で渡った唐から帰国した後も、第50代 桓武天皇の許可を得て比叡山を拠点に、唐から持ち帰った天台宗を広める活動をした。亡くなった後に、開創した時の年号をとって延暦寺とされた。

現在の延暦寺
最澄の御廟 浄土院

❸4か所目の戒壇院となる

最澄の没後7日、朝廷から延暦寺に戒壇院の許可がおり、延暦寺から多くの僧が生まれた。

延暦寺 戒壇院

【その他の関連史跡】

❶きっかけになった神護寺での講演

(当時の寺名は高雄山寺:京都市右京区梅ヶ畑高雄町)
802年、和気清麻呂の息子がおば・広虫の三周忌に最澄に講演を依頼した。その後、最澄は和気氏の援助を得て還学生として唐で学び、帰国後も高雄山寺で灌頂を授けるなどした。

❷3つの戒壇院

  • 東大寺(奈良県奈良市雑司町)

  • 観世音寺(福岡県太宰府市観世音寺)

  • 薬師寺(栃木県下野市薬師寺)


『京都遠足』(P34)
https://www.worec.jp/03kyoto.html