It‘s a small world
どうも公立学校教員から転職、教転員職です。
今回はいじめについて考えたことを書きます。
○いじめとは
いじめは学校や会社などコミュニティが存在するところで発生することがある、特定の人物への一方的な「攻撃」です。正確には政府が定めた定義があり、それに該当したものをいじめと認定していますが、このいじめの定義は時代により変化しています。時代に合わせた定義が必要となり、最初に定められた定義から、2020年までに3度の変更・追加がありました。
いじめの定義は、幾度かの変更と追加が行われてきましたが、2013年に「いじめ防止対策推進法」が施行され、その中で定められたものが、2020年時点でも適応されました。
この法律によれば、
いじめとは児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍しているなど当該児童生徒と一定の人的関係のあるほかの児童生徒が行う心理的または物理的な影響を与える行為
としています。
これはインターネットを通じて行われるものも含み、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているものが該当します。なお、起こった場所は学校の内外を問いません。
さらに、いじめの中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体または財産に重大な被害が生じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれます。
実際に被害にあった人が苦痛を感じ、いじめだと思えばそれはもういじめなのです。
○いじめはなぜ起きるのか
クラスにいじめが起こると児童生徒の人間関係、精神状態、今後の人生を左右する大きな出来事になりかねません。また、教員としても責任問題となりかなりの労力や疲労を伴います。価値観の共有、授業、日々の声かけを通していじめを防止しようと教員も努めますが、いじめはなかなか防ぎ切ることができません。非常に難しい問題です。最近では教員の目に見えないSNSなどを使ったいじめも起こっており問題は複雑化しています。
魚に詳しいことで有名なさかなクンがいじめの本質を言い得ているインタビューがあります。以下抜粋します。
でも、さかなの世界と似ていました。例えばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。狭い水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間外れにして攻撃し始めたのです。怪我してかわいそうで、その魚を別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子が現れます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じ込めると、なぜかいじめがはじまるのです。同じ場所に住み、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
まさにいじめの構造ですね。人間も魚と変わらないとなるとなんとも虚しい気持ちになります。動物の本能的なものなのでしょうか。しかし人間には本能に抗う理性が備わっているのに。
○小さな世界から大きな世界へ
魚は「海」という大きな世界ではいじめが起こりません。「水槽」という小さな世界に閉じ込められることでいじめが起こります。
人間にとっての『小さな世界』とはなんでしょうか?
「家」「町、村」「学校」「会社」
などでしょうか。「村八分」という言葉があるように小さな共同体になり、その繋がりが強固であるほど、繋がりから外れたもの、異質なものを排除する動きは強くなる気がします。またその排除する対象を作ることでより強固な繋がりになるという作用もあります。
「学校」、「教室」も小さな世界です。子どもたちはそこで長い期間強制的に過ごしていかないといけません。まだまだ未熟であるが故に本能に抗えずいじめを起こしてしまう。
学校という場所を根本的に変えていかないとこのいじめ問題は解決しないように思います。
旧態依然の学校システム、もちろんそこに良さもあるのですが、この『小さな世界』をもう少し『大きな世界』にすることはできないでしょうか。
今回はここまで。ありがとうございました。
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