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アメリカ大学留学⑥〜大学1年目夏期間〜
ここからは自分の正直な感想や考えを基に人生を振り返っております。不快な表現や足らない言葉遣いをお許しください。
写真はケンタッキー州の大学バスケのアリーナです。費用は約60億円。大学施設に60億です。
自分に全く関係はありませんが、夏の期間毎日外観を見ていたので記憶にあります。
2017年5月。地獄の春学期を終え、夏休みを迎えました。
アーカンソー中央大学は2期制大学なので、
1月〜4月までの春学期
9月〜12月までの秋学期
という年間スケジュールになっております。
5月からは夏休みなので、約3ヶ月半は自由に過ごす時期になります。
一時帰国する事も
授業を取る事も
サッカー部は、他のクラブチームでプレーする事も出来ます。
簡単にアメリカの夏期間のサッカー事情を説明しますと、セミプロのサッカークラブの団体は主に3つ。
USL2
NPSL
UPSL
団体間に公式の関わりはありません。
リーグとしてのレベルは、
USL2>NPSL>>UPSL
という感じです。
USL2はアマチュアのトップリーグで、プロを目指す大学生や社会人が数多く在籍する団体です。
また別の機会に、アメリカのクラブチーム事情を詳しく説明します。
多方のアメリカ大学生はこの夏の期間、自分の大学を出て、
自由にチームに所属することができます。(プロチーム以外)
自分もこの夏の期間は大学を出て、
ケンタッキー州にあるPDLという団体の
Derby City Rovers
というチームへ行きました。
(現在はPDLという団体はUSL2に統合されており、Derby City Roversはクラブ経営が終了した)
この夏期間も1年目の春学期に負けず劣らず中々タフな状況でした。
自分がケンタッキー州に到着した時点で、
まだ「選手登録」も「部屋の準備」も完了していませんでした。
通常、クラブチームは選手の待遇には配慮しているのですが、色々なクラブがあるので対応はそれぞれとなり、
自分は今回「ハズレ」を引いたという形でした。
夏期間をRoversに選んだ理由は
「2016まで良い経営」をしていて、
「大学の先輩も在籍していた過去がある」からでした。
しかし、2017からオーナーが新しくなり、そこから環境が悪くなっていったそうです。
結局滞在場所を点々とし、最終的にアフリカ出身のチームメイトが住むアパートの狭い1部屋に居候するという形になりました。
普通に最悪でした。
現在は人種問題についてはとても敏感ですが、あえて言いますけど、
黒人と日本人は絶対にお互い分かち合えません。
アメリカ留学の経験を通じて、数多くの方々と交流を持った上での結論です。
もちろん中にはしっかりとした人はいますが、
「黒人のマジョリティがそうではない」というのが自分の意見です。
約束の時間に事が運んだことは1度もなく
常にうるさい
平気で嘘をつく
人の物を勝手に使う
汚い
事実なんで言いますが、環境は劣悪でした。
車もなかったので、買い物に行くことも容易ではありませんでした。
自炊をする環境が整っていないので、食事は全てレストランかテイクアウト。
お金をあまり使いたくなかったので、1日1食の生活をしていました。
サッカー面も劣悪な環境でした。
2017年からの新オーナーがチームの監督を自ら務めるという、
とても珍しいチーム状況でした。
「指導歴も実力もないただの金持ちのサッカー好きのおっさんが、娯楽としてチームを動かす」という状況でした。
まず監督(オーナー)が練習場に来ない。
それなのに試合の指揮は監督が全てとる。
新参者の自分はチームでの実績も信頼も持ち合わせていなかったので、シーズン最初の1試合のみでその先試合に出場する事はありませんでした。
練習でアピールしても、試合の出場選手を決定する監督が練習の現場にいないので、チーム内での立場が変わる事はありませんでした。
チーム内にケンタッキー州の強豪大学(ケンタッキー大学&ルイビル大学)
から数名の選手が在籍していて、彼らも自分と似た状況でした。
彼らとの練習や繋がりは唯一のポジティブな点でしたが、次第に彼らもチームを離れて行きました。
それに続く形で、自分も約1ヶ月の滞在期間でチームから離れ、アーカンソー州へ戻りました。
アメリカ大学サッカーのシーズン(公式戦)は秋学期にしかないため、
春学期のチーム準備期間と同様に、
夏期間の自身の準備期間はとても大切なのですが、
自分の2017年夏期間の経験は最悪なものになってしまいました。
最初の1、2年は、アメリカの環境や事情などは全くわからず、適応には時間がかかります。
だからこそサポートしてくれる人の存在が必須なのですが、当時はアメリカ大学サッカー留学経験者がとても少なく、情報交換も容易ではなかった。
この経験が、「留学コーディネーター」と「アメリカにクラブチーム(USL2)を作る」という現在の活動に取り組むきっかけとなっています。
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