アメリカ大学留学⑧〜2年目(前半)〜
ここからは自分の正直な感想や考えを基に人生を振り返っております。不快な表現や足らない言葉遣いをお許しください。
2017年冬。
アメリカ大学留学の初年度を終え、時期は年末年始。
自分は日本に一時帰国し、成人式に参加しました。
成人式の様子はこのブログの趣旨に反するので割愛しますが、振り返ると良い思い出です。
12月上旬から1月の中旬までの約1ヶ月間は冬休みとなるので、
2017年は一時帰国し実家で羽を伸ばす事を選びました。
2017年を振り返ると、最も「激動」の年でした。
新しい環境、また特異な環境に揉まれた年でした。
そして次への飛躍を願い、日本の習慣である神社参りやお餅、ガキ使を観て2018年を迎ました。
2018
留学生活2年目となるこの年は色々な「別れ」から始まりました。
2年目の春学期
サッカー部内で仲の良かった2人のチームメイトが辞めてしまいました。
1人はフランス🇫🇷のマルセイユから留学して来た同級生でした。
お互い英語初心者で、一緒に語学授業を取りながらサッカーをしてきた仲間でした。
似た様な境遇にいる者同士なだけあり、お互いの中に「絆」の様なものがありました。
彼は大学を中退し自国に戻って、サッカーとは別の道に進む事を決めたそうです。
もう1人は中央アフリカ人🇨🇫で、自分の入学と同時期に、別の大学から編入して来た選手でした。
入学のタイミングが同じだった為、最初の寮のルームメイトになりました。
人間としてはどうしようもない奴でしたが、
サッカーの波長がとても合う事もあり、
常に行動を共にしていました。
彼は監督や他のチームメイトと馬が合わず途中で辞めてしまいましたが、能力は非常に高い選手でしたので、違う場所でプロを目指す選択肢を取りました。
そして、交際していた中東系の彼女ともお別れをしました。
彼女が家庭の事情で母国に帰る事となったからです。
このいくつかの「別れ」から、自分は何となくアメリカを感じました。
どういう事か
「同じ場所や決まった考え方に留まらず、自由に選択肢を選ぶ」という所です。
それまでの自分の固定概念からは違和感を覚える考え方でした。
「サッカーをする」「米国大学へ留学する」など割と自由な選択を選んで来た人生ではありましたが、ある程度流れには沿って生きてきました。
日本の一般的な考え方において、「大学中退」と聞くと「何か間違いがあった」と感じるかと思います。
大学に入り、卒業して、就職する。
この流れが普通であるべきという考えが主流だと思います。
しかし、簡単に中退して別の道を進んでいく彼らをみて、改めて「自由」について考えるようになりました。
自分は結構考え方が頑固なタイプの人間でしたが、少しずつ柔軟に物事を考える様になり始めた(気がする)のはこの時期からでした。
肝心の自身の大学生活は順調になりつつあり、
授業面では、
英語に慣れ授業の要領を掴める様になった事で、
「ついていく事」から「良い成績を取る事」に自身の目的が変わりました。
「最低限の英語力」「授業の取り方」「傾向」「効率」
など、留学生活を円滑にする要素とその要領を把握出来る様になるにはやはり1、2年必要だと思います。
サッカー面でも、環境は日々良くなっていき、チームの中心選手として認められる様になっていたと思います。
フィジカルの面ではまだ苦労していましたが、日本人特有の「技術の高さ」はチーム内で存在感を示していたと思います。
日本人の後輩ができ、「学業」「サッカー」「生活」で支えてあげる合える仲間が出来たこともあり、留学生活2年目はとてもポジティブなスタートとなりました。
この時の自分は、後に起こる人生最大の悲劇を知る由もありませんでした…
(またこの締めで恥ずかしい)
後半へ続きます。
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