アメリカ大学留学① 〜留学の決断〜
ここからは自分の正直な感想や考えを基に人生を振り返っております。不快な表現や足らない言葉遣いをお許しください。
高校は千葉県にある日本大学附属柏高、通称柏日体高校に通いながら、柏レイソルユースでサッカーをしていました。
高校生当時、自分はあまり公式戦に絡めず、結局高校3年生の時にようやく、ベンチから途中出場したりしなかったりという立場でした。はっきりいって中途半端な選手でした。
ただ自信だけはありました。
チームとは合っていない、コーチに好かれていない、
だけど「自分はチームで1番サッカーが上手い」と思っていました。
ただ、チームにおいて自分が良い選手であるとは思っていませんでした
(上手いと良い選手は違う)。
通常、高校3年生の前期にチームと面談があります。
高校卒業後の進路についてです。
当時の自分の立場では、高校卒業後にプロへの道はなく、大学へ進む選択肢しかありませんでした。
しかしその時の自分がオファーを貰える大学は3校。名前は伏せますが、とても一流大学とは言えませんでした。
「ここでサッカー人生をかけて勝負できるのか」と不安でした。
さらに大学卒業後にプロになれなければ、就職を考えなくてはならない。
そして、そこは就職面でも有利にはならない様な大学でした。
そこで、別の進路も考え始めました。
1つの進路として、「海外(ヨーロッパ)へ留学し、セミプロフェッショナル選手としてプレーしながらプロを目指してみたい」
と親に伝えてみました。
「プロが無理でも、語学という付加価値がついてくるから」と。
中途半端に自信があった自分と、
特に進路を見定めきれていない自分の間で見出した妥協案でした。
「とにかくサッカーはプロを目指して続けていきたい。」
「大切な人生の選択の場面だけど、日本の大学に進む選択はしょっぱいな。」
とそんな感じで割と適当に大学選択という現実から逃避した考えでの提案を親にしました。
両親は自分に
「サッカーは続ける選択は尊重したいけど、大学を卒業してほしい」
と返答してきました。
暗に、自分が海外へ行ってプロを目指す事はリスクが高く、今後の人生を考え安定した選択をしてほしい、という意味を含んでいる旨でした。
自分は両親の返答を尊重し大学へ進むことを決めました。
3つあった候補の中から1つに絞り、その大学の事をを調べていました。
年間費用、授業カリキュラム、著名人の卒業生、など。
ただ常に心にしこりがある様な感覚でいました。
結局この大学に行くのか。
まあ他に選択肢ないしな。
でもこの大学か。
あーもうちょい監督に好かれる態度してればよかったなぁ。
でなきゃ今頃もっと別の選択肢があったのかもな。
でも今は今か。
もうどうでも良いや。
この繰り返しでした。
2回目の面談の前日、その日は自分の高卒後の進路をある程度固めて監督に伝える準備をする日でした。
そこである事を思い出しました。
アメリカ大学へのサッカー留学
高校2年の時だったと思います。
自分の今後の進路に不安を感じたのか、父親が自分に提示してくれた選択肢でした。
最初は全く関心がありませんでした。
父の紹介で留学エージェントの方とお会いして情報を聞いたり、
同じような進路を考える高校生達と交流したりしましたが、
結局本気でアメリカ留学を選択肢として考えていませんでした。
当時を振り返り、自分をサポートしてくれたエージェントの方は、
「親にはやる気があるが当の本人(自分)はアメリカ大学に興味がない」
という印象を長く持っていたそうです。確かにその通りでした。
まず英語を全く話せませんでした。
日本にいるんだから英語など必要ないだろう、そういう考えを持つタイプでした。
それに、アメリカでサッカーをするってどうなんだろうと、全く想像つきませんでした。
ただ、
海外での新しい挑戦
大学への進路
当初自分が惰性で両親に提示した選択肢と、
腹を括りきれない日本大学への選択肢の両方を解決する魅力的な選択なのではないか
と、2回目の面談の前日にそう思いました。
面談の日、監督に伝えました。
「アメリカ大学留学への進路を考えています。」
返答は今でも覚えていますが、
「?」
でした。監督からすると、自分がサッカーを続けるのか否かもわからなかったと思います。
それほど、一般的な認識として日本人にとってアメリカ大学への知識は皆無なんです。
サポートしてくれる人の有無や本気度を口頭で確認されただけで、その面接は終わりました。
「前例のない選択肢だから特にサポート出来ないけれど、頑張ってくれ」
その様な言葉を貰い、自分は約9年間お世話になった柏レイソルとお別れをする事になりました。
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