映画感想『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』※ネタバレあり
久しぶりに投稿する。
最近、別垢のほうでの感想、アウトプットが多くなってきたのだが、ネタバレを配慮する必要のあるものの感想はどう書けばいいのか思案し、知人の助言を経て、このノートの存在を思い出した。
演劇で一度きりの作品、美術館の感想、旅のレポなどはなんでもそのまま投稿すればいいが、映画はそうはいかない。ネタバレという概念がある。
でかつ、ドラえもんである。
私はドラえもんについては一家言ある方の人間だ。
アニメは子供の頃に見た程度であるが、中学生のころまではかなりの原作厨だったと自負しているし、最近でもドラえもんスレやドラえもんYouTuber、特番などがあると喜んで見に行く。要は懐かしいのだ。
かなりだらだら書いた。とりとめがない。
長すぎるので目次も作ったが、タイトルで要約できているかは謎。よろす。
はじめに
さて、本題。
『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』
前日になんの気まぐれか、アマプラで前作『空の理想郷』を見て、ドラ熱が高まったため、そのまま見に行った。
これは言わなくてもいいのだが、『空の理想郷』が自分では今ひとつだったため、その跳ね返りで今年は面白いのでは、と嫌な読みをしたのもある。
結果、面白かった。
見ているときはかなり頭を使っていたし、見終わってからも「これ難しすぎんか〜」が正直なところだった。しかし寝て頭の中で世界を再構築すると、メッセージはかなり面白いと感じたし、なんならもう一回ぐらいは見ておきたいぐらいだった。
冒頭から感想をだらだら書く。
オープニング〜日常パート
冒頭。
なにやら太古の時代。『日本誕生』を彷彿とさせる原始の世界観。
湖の辺になんか隕石みたいのが墜落して、そこに集まる原始人。
中からは赤ん坊、と、傍らに意味深な青い笛。
隕石(なにかしらのカプセル。宇宙亡命ロケット的な?)は桃の形だったし、貴種流離譚というか、桃太郎のもとがこのへんなのかな〜みたいな想像も膨らむ。(結果としてここ現在ドイツらしいので、なぜ桃なのかは不明)
からのオープニング。
今回のテーマに即して、音楽の歴史、みたいな映像が、太古の白鳥を中心に展開される。かなりワクワクする映像。ドラ映画の感じではなく、地球ドラマチック的な雰囲気だった。
これはかなりよかったが、同時に、「あ、いつもの感じのオープニングはなんだな」と悟る。
日常パートからののび太泣きじゃくりからの「ドラえも〜ん」からの「テレレテレレテレレテレレ」のあれ。
まあ別にそれはいいのです。
日常パート。
音楽の授業。リコーダーをみんなで吹いてる。
クラスメイトが勢揃いしていて、なかなか嬉しかった。
ムス子さんとか、多目くんとか、なんか顔は覚えてるけど思い出せない面々がたくさんいた。
ここで白鳥の骨の笛の話。世界最古の楽器らしい。
のび太はリコーダーが苦手で、音楽も嫌いなんですね。
確かに小学生の頃とか音楽そんなに好きじゃなかったし、苦手な子も多いよなあ。あの音楽室の独特の感じ、好きではなかった。
のび太帰宅すると、ドラえもんがどら焼きを山のように盛って食べてる。
ドラ登場までが少し長いね。
のび太が学校行ってる間に暇なドラが好き勝手してるというのが割と好きなのだが、今回は「あらかじめ日記」で好きなだけどら焼きをたべるということをしてるらしい。みみっちいというかなんというか笑
お中元でもらったどら焼きがほとんどらしいけど、ここまで来るともう野比家に周囲の人が気を使ってるとしか思えない笑「野比さん家の変なロボットが確かどら焼き好きとか言ってたから、今年もどら焼きでいいか」みたいな会話が聞こえてくる。
あと部屋に飛行船ありましたね。恒例の前作アイテム。
ここまでを見てのび太、「あらかじめ日記を使えば音楽の授業しなくてすむや」と思いつき、「ネズミ!」といってドラえもんの注意を引き、あらかじ
め日記と普通の日記をすり替える高等テクニックを発揮。
「今回、ムズくないか・・・?」
そう、高等テクニックなのだ。ここでいくつか違和感があった。
まずあらかじめ日記。
これまでドラ映画でも、ひみつ道具起点で物語が展開するものはいくつかあった。
最も近しいもので言えば、「もしもボックス」起点の『魔界大冒険』。
あとは『宇宙開拓史』とか、『夢幻三剣士』とか、『創世日記』とかもあるが。
ではなぜ今回もしもボックスではなく「あらかじめ日記」なのか。
かつ、なぜ「ネズミで騙してドラえもんが退場」ではなく、「日記とすりかえ」という回りくどいことをしたのか。
このとき私の脳裏によぎったのはこんな感じ。
①のび太が叶えたいことが倫理的にまずく、ドラえもんに止められることだから。
②なにかの事故・偶然から書き込みがなされ、それが物語の広がり、解決似関係するから。
①②は概ねその通りだった。
映画を最後まで見ると、まだ意味があったことに気づく。
③「あらかじめ日記」が普通の日記と入れ替わっても気づかない、ということを示す必要がある。
④「この映画、伏線めちゃくちゃあるし、それを読み取るむずかしさはこのレベルですよ」を示してる。
割と④もあるのではないかと思った。
のび太が明確に日記を入れ替えた描写はなく、ごそごそという音と、本棚から本が崩れ落ちるという描写だけで、「入れ替えた」ということがわかるのだ。
ここがこの映画の楽しみ方の分岐点という感じがした。
要は、「難しめだけども、伏線全部拾って映画の仕組み理解したうえで、楽しみ尽くすぞ」勢と、「難しいことはわからんけどもエンタメとして楽しもう」勢と。
一応多分どっちもできるんだろうけども、私は前者目線で見てしまった。
だからかなり難しく感じたし、設定の細々したところが気になって、作品の大きな流れに沿った感動に乗り切れなかった部分がある。だからもう一回みたいなあ。
この、どちらの楽しみ方でもいいよ、というのも、音楽との共通性を感じた。
例えばクラシック音楽なんかは、何も知らなくても感じるだけでその壮大さや、「なんかいいなあ」という感覚を得られる。ところが少し音楽の理論や、仕組みを勉強してしまうと、「なるほどここはそういう進行なのね」とか分析が入る。
すこーしだけ音楽かじった事ある身からすると、今回の映画は緻密な設定積み上がった点で、バッハの旋律のような印象を受けた。
そんなに構えて見る必要ないんですけどね、ドラは。
日常〜非日常へ
さて感想に戻る。
あらかじめ日記を使って「今日は音楽がなかった」とのび太。
音楽の授業がなくなればそれでよかったのだが、世界中から音楽が消えてしまう。
スピーカーが壊れて聞こえないとか、お母さんの声が涸れて子守唄が歌えないとか。
異変に気づいたドラが日記を回収し、一旦終了。
ここまでで日常の音楽の存在をありありと印象付けてくれた。
「日常から音楽がなくなるとどうなるか」と見せてくれたのもそうだし、ちょっとした日常の音にフォーカスがあたっている。
子守唄、鼻歌、ラジオ、テレビ、はては玄関のドア開くとチャラチャラなるベルみたいなものまで。
このあたりはクライマックスに効いてくるのだな。
仕方なくリコーダーの練習をするのび太の前に、謎の少女ミッカ登場。
彼女は宇宙人ということだが、キャラデザはアイヌ系の感じがする。
生き残りとか、そのへんのイメージかしら。
あと幼女というか子どもとのコミュ力高杉ののび太。『宇宙英雄記』でも思ったけど、ここまで話せるかね普通。そこがいいところなんですね彼の。
明くる日、秋の音楽発表会に向けてリコーダーの練習をするいつもの面々。
どうしてもうまく吹けないのび太。
いらいらするジャイスネ。
そこにミッカが再登場し、リコーダーに合わせて歌い出す。
ここのパートかなり楽しかったし、今回の映画はこういうシーンが多くて良かった。
ドラも参加し、ココロコロンで動き出したぬいぐるみとかも参加し、セッションする。
「音楽はやらされるもの、うまくやらないと怒られるもの」という感覚から、「音楽はみんなでできて、楽しいもの」という感覚に自然に連れて行ってくれるシーン。
子供の頃に見たら音楽への感じ方も変わるかもしれない。素晴らしかった。
気になった小ネタで言うと、ジャイアンのおもちゃのロボットがタンバリンを叩いてたけども、完全に動きがゴンゾーだった笑
ビジュも若干寄せてたし。やってんなあ。
セッション終わってみんなで笑い合うシーン、素直に素敵でした。
でなんか夜。謎の手紙に吸い寄せられイツメンで学校へ。
音楽準備室から謎の光。冒険始まりますよ感。
ここまでも結構長かったな。
光の先はクソデカエレベーター。宇宙に放り出される一同。
謎の空間。ガラスの階段みたいな。歩くと音がなる。
恐る恐る思い思いに歩いてみると、だんだん音が重なって音楽になる。
足音、声、拍手が音楽に。このあたりも音楽の要素よね。
すると次のステージへ。RPGみたいな感じですかね、今回。
宇宙の謎空間 RPGスタート
この辺記憶があいまいだけども、ミッカと謎のロボットのチャペック。
チャペックは鼻が四角くて新鮮だった。
チャペックが言うには、彼らは音楽がエネルギーの星出身で、音楽が得意な人「ヴィルトゥオーソ」を探しに地球に来たんだと。
なるほどこれなら「音楽で地球を救う」ができそうですね。
このあたりから怒涛の設定祭りなのだが、今回この用語の難しさもあった。
「ヴィルトゥオーソ」は調べたところイタリア語で「音楽の達人」ということらしいし、彼らの故郷「惑星ムシーカ」は「ミュージック、ムジカ」あたりからでしょう。後々出てくるキャラも音楽家由来だったりするので、知識があればすっと入るけども、完全ノー知識だとどうなのかしら。
ただ案外子どもは受け入れやすいかも。最近のアニメは難しい名前多いし、恐竜とかポケモンとか覚えるのは子ども得意だ。
逆にこの辺の知的探究心薄めの子、音楽が全く楽しめない子は、今回無理だろうなという感じ。
で、PRGでいうところの自分の武器でありパートナーを選ぶパートへ。
ジャイスネしずちゃんはそれぞれチューバ、バイオリン、打楽器。
このあたりはムード盛り上げ楽団もそうだし、よくある編成。
で、のび太はリコーダー。苦手なものがパートナーになる、乗り越えるんですな。
この他の人はかっこいい感じの楽器なのに、自分だけリコーダーっていうなんかダサいし面白くない感じも、音楽始めたてあるあるという感じがする。
基礎からやらないと楽しいことできないってのも、つまづく要因だよね。
で、同演奏するのかといえば、そこはドラ映画、ドラの便利な道具で演奏がだんだんうまくなるようになる。
ムシーカの街の人(正確にはロボット)とのセッションでレベルアップ。
ここも演奏がうまくなる=レベルアップ感がわかりやすくて、RPGだったなあ。
途中の雨が降る竹林では滝廉太郎モデルのロボット「タキレン」登場。いじってるやろもはや笑。演奏で解決。
この「ステージが進む→演奏で解決」の流れが3回ぐらいあり、退屈になってしまった。「ふしぎの国のアリス」とかでもあるけど不思議な体験をいくつか繰り返すのって、なかなかそこにダイナミズムを生み出すのが難しい。
タキレンに連れられ歩いていくと、そこは墓場。
ミッカが探している故郷の住人は、全員もう土の下だという。
故郷はある日「ノイズ」という宇宙の大厄災に飲み込まれ、壊滅したとのこと。惑星から脱出した人々は生き延びるため4万年のコールドスリープに。
そこで生き残ったミッカだったが、他の人はだめだった。というような感じだった気がする。眠くてこの辺は覚えてない笑
余談:ゲストキャラ、設定の話
この辺のミッカサイドの物語がどうも難しい。
4万年前の厄災から逃れて、コールドスリープして。コールドスリープする前にミッカの双子の妹を地球に流して、で、その妹の子孫が今日本で歌姫として活躍してる。
4万年前の例の青い笛が必要になり、それって時代的に音楽の授業でやった白鳥の骨の笛だよね、今はどこにあるのかな、あ、歌姫がもってるや。
で、歌姫のところに行って、笛もらって、なぜか歌姫に一発で信用してもらえるミッカ。
いやー、難しいというか設定をなぞるだけのになってるよなあこの辺。
やりたいことはわかる。
ひとりぼっちになってしまったミッカだけども、地球にその片割れはいて、音楽を通して故郷の人の思いが4万年先の今まで届いているということ。
つまりは、太古から音楽が今までつながってるとか、世界中で音楽があるとかいう、音楽のもつ縦軸と横軸のつながり、その壮大さと親しさを伝えたいのだろうけど、、、長い。
確かにここがあるからラストの「地球交響楽」へのカタルシスにつながるといえばそうだけどもねえ。映画の難しいところですね。
ドラ故障 助けたいのび太
はい、もどって。
確か、音楽の力を出すために必要なロボットを復活させるとかで、わちゃわちゃやってました。この辺は完全に寝てて見てないです、すみません。
ベートーヴェンとワーグナーモデルのロボットがでてきてたね。
結局はノイズという厄災と戦うことになるのだけども、あとでこの映画がコロナ禍を受けて考えられた、ということを聞いて、なるほどと思った。
今回明確な悪意をもった敵がいないんですよ。
戦うのはウイルスのような自然的な厄災。コロナに遭遇した我々にはあまりにも身近な話。
そこに立ち向かうのが音楽というのもまたいい。
音楽は本来楽しいもので、うまいとかじゃなくてそれぞれのよさを合わせることに意味があるよね、みたいな。コロナという共通の敵を前にしたとき、自滅に向かういがみ合いをしても意味ないよね、という感じ。
ノイズは音楽がないところで増殖するらしく、のび太が音楽を消したあの日、地球で一気に増殖したらしい。
その一辺をジャイアンが尻ポケットになすりつけてムシーカ人の居住地までもってきてしまったんですねえ! このあたり「宇宙小戦争」で偵察機がジャイアンに忍び込んだところ彷彿させる。
ノイズが原因で故障するドラもよかった。目が+になったあげく、のび太に触られて「H!」は完全に「雲の王国」。ありがたいありがたい。
余談ですが「雲の王国」リメイクは多分難しいと思ってるのですが(核の抑止力とか、キー坊とか出るし)、ちょいちょいオマージュ要素はあるよね。
今回の映画もそうだけど、「宇宙英雄記」でドラの特技が石頭だったのもよかった。
「雲の王国」はリメイク希望の声も多い作品ですから、そのあたり汲んでくれてるのかしら。
ドラが壊れたこともあり一旦地球へ戻る一同。
ノイズを撃退してドラを助けるために、みんなで空き地で演奏する。
近隣住民からの苦情は来ないのかしら、と思ったことはさておき、のび太が音を外す。ジャイスネがイライラして合奏がうまくいかず、しずちゃんも調子が出ないそう。
ジャイアンがイライラして「吹くのやめろ」と言ってきたのに対して、のび太が強く反発。ドラを助けるために自分も演奏したい。
ここで気圧されるジャイよかった。いつもののび太じゃないぞと。
音楽の本質はみんなで楽しむ、協力すること、ということで、しずちゃん筆頭にのび太に合わせた演奏へ。
宇宙居住区の大演奏でもないし、割と素朴なメロディー、空き地での小さな演奏だけれども、今までよりも格段に一つになった演奏になっていた。
豪華だからとかいいとか、良い楽器だから高度なテクニックがあるからいい、といことではないというメッセージが伝わる、非常に良いシーン。
無事ドラが目覚めて、再度宇宙居住区へ。
クライマックス「地球交響楽」
ノイズを倒すために居住区のロボット全員と、ドラたちでの演奏会。
今回クライマックスは演奏会。昨今の音楽テーマのアニメでよくあるけども、ドラは日常感やアクションとそれが絡んでいて、見せ方が抜群にうまかったなあ。
演奏会前に一応テキオー灯を浴びせるドラ。「あーこのあと宇宙に出るのかなあ」と思ったけど、これがないと詰んでたね。怖。
演奏するも、ノイズが強すぎて演奏会場ごと破壊。宇宙に放り出される一同。ドラもなんかないかとひみつ道具を散らかすけどもなにもできず。
突然の無音。
宇宙に放り出されたのび太。何も聞こえない。
無音が続く曲が現代クラシックであったけども、確かに無音も音の一つの形だ。
ここまで音にフォーカスした映画で、あえて1分ほどの圧倒的静寂をもってくる演出。しびれた。
宇宙の中での無音、暗闇、孤独、寂しさ、恐怖。それまでの音楽が当たり前に供給されていた時間があったからこそ、この落差がかなり効いた。
ここからが最高。
ドラのちらかしたひみつ道具がピタゴラスイッチ的に宇宙空間でぶつかりあい、「時空間チェンジャー」(これあんま知らんのですが)が作動。
なぜか宇宙空間で音がなり響き、みんなの演奏が聞こえるように。
音楽があってよかったね。ひとりじゃないという安心感がすごい。
チャペックが作った「地球交響楽」はドラたちの演奏だけでなく、地球全体の音楽を巻き込んでいく。
歌姫ミーナの演奏、日常の生活音が重なる。世界各地の音楽。
一瞬だけど、戦場の兵士が一人吹くハーモニカが個人的にはかなり心に来た。
このあたりの盛り上がりはなかなか文章では難しい。
宇宙空間で、地球全部と演奏なんてのは、ドラじゃないとできない。
人知れず地球を救うことはあっても、ここまで日常を意識しながら危機を救ったこと今まであったろうか。
ドラ史上でもここまでのスケールを感じる映画はなかったんじゃないだろうか。
で、なぜ宇宙空間で演奏ができたかといえば、「時空間チェンジャー」で宇宙と野比家の風呂場がチェンジされたから。
浴槽の上に浮かぶ地球、シュールすぎです。
余談:今回のドラ映画的要素まとめ
ここまでのギミックをまとめると、、、
中盤での夏休みの宿題をハッスルねじ巻きでチャカチャカやるのび太
→日記があらかじめ日記と入れ替わっている事に気づかず、「今日わみんなでおふろに入った。たのしかった」と書く。
→時空間チェンジャーの伏線も確かあった。風呂場でのびパパがなにか言ってた(眠くてあまり覚えてない)。
→その前にも、ドラとのびが一緒に風呂は言ってるとき、「お風呂だとよく響くね」というところ。ここ、のび太が鼻歌に夢中、明らかに必要のないシャンプーをドラがしているシュールさという隠れ蓑があり、伏線が非常に自然で良かった。
、、、という感じか。
この辺のギミック作動の順番が時系列でいうと反対の順番になっていて、これはかなり練られている。
いや練りすぎですもはや、難しすぎる。
伏線読み解くのは楽しいんだけど、そこに意識もってかれるから疲れるのよなあ。だからこそ一回見たうえでもう一度見たい。
あとドラ故障したことの意味もあった。
・笛が直せない→のび太の「の」の音が活躍
・のび太がドラのために一生懸命になる描写
「ドラ故障→便利機能と友達を封じる→のび太の自立・成長を促す」ということね。
過去作のギミックをうまく使ってたな。ドラ映画の要素分析すると、こうした機能の組み合わせでできてる気がする。
AIにドラ映画分析させて組み合わせて新作作るとかもできるかも。
この点で行くと、今回の映画は「ドラ映画要素を使って音楽について説明する映画を作りなさい」というテーマをしっかりクリアしてる。優等生過ぎる回答といってもいいぐらいに。
そんな感じでノイズ撃退。
ミッカもなんやかんやで無事故郷の人たちが生きていることがわかったのでした。ここはまあ意地でもハッピーエンドにしないとねという感じがした笑
綺麗に(詰め込み感はありつつ)全部回収していくなあ。
ラスト〜エンドロール、その他
日常にもどり、小学校の秋のリコーダー発表会。
ママたちが参観してる。あばら谷くんのお母さんがいたのが印象的だった。ジャイママのおめかしも新鮮。
のび太の調子っぱずれの「の」の音で終了。これも今回の映画の鍵でしたね。
エンドロールのVaundyよかった〜
あとしずちゃんがバイオリン下手なのがしっかり一枚絵ででてた。今回演奏しないのかなと思ってたらしっかり出てきた。
ジャイの歌も。テーマ的に下手だからどうこうというのはあまり言えないというか、いじれなかった感じなのかしらね。
あとジャイからの暴力描写はほんとになかったね。気づいたらスネ夫がふっとばされてた。
ミッカの「のほほんメガネ」からの最後「のび太お兄ちゃん」呼び、よかった。ベタだけど好きな演出。好きなんだけど、その辺含めてベタとご都合で塗り固められてた感じあるなあミッカサイドの設定が。まあここはドラ映画ですしいいか。
あと、意図的にドラえもんの道具でとりあえず解決! というのがあまりなかった?
笛が壊れてるのとかはドラが直せばいいじゃんと思ったけど故障中で直せなかったし、地球交響楽ができたのもいわば偶然。
来年のドラ映画。十中八九オリジナルでしょう。
出てきた要素としてはコウモリ、お絵描き、中世ヨーロッパ風の古城。
思いつくこととしては、『ゆうれい城への引っ越し』空気クレヨン、音楽やったから今度は芸術要素、あとはドラキュラとか? まあできそうですね。
最後に
久しぶりにドラ映画見てよかった。
日常に忙殺されているので、昔好きだったものとか、安心して見れるものに浸れるのすごく楽で楽しい。
ドラ熱上がってきているので、原作も読み返したいし、見れてない映画を見ておきたい。
あとまあ、結局こういう分析的な見方が好きなんですよね私は。ドラに関しては。
もともと原作読んでるときも、「このコマ割りとかテンポ、天才でしょ」とか「この表情のシラけ具合がたまらん」とか「時代的にこれ元ネタあるのかな〜」とか考えながら読んでたので。
音楽もまたやりたくなった。カラオケ、ギター、合唱が好きなので。
生活に音楽があって、人がいることがありがたい。そんな映画でした。
初期わさドラの、説教臭いお涙頂戴の感じからは完全に脱却していて、しっかり共感ができる映画になってていいな最近。ドラ制作陣の真摯さを感じます。
また見よう。