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教育基本法にある「人格の完成」って何だろうと思った話(教育法規:教員採用試験対策)
「人格の完成」
このとても壮大な目的が掲げられているのは、教員採用試験で頻出の教育基本法第1条です。
「人格の完成」とはどういったことを指しているのでしょうか。
今回は、「人格の完成」とはどのようなことかということを、根拠をもとに話していきたいと思います。
教育基本法第1条
まずは教育基本法第1条を確認していきましょう。
教育基本法
第一条
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
このように「人格の完成を目指し」、と示されています。
前述の教育基本法は、平成18年に改正されましたが、それ以前の教育基本法にも同様に「人格の完成をめざし」と示されていました。
旧法から変わらない部分
旧法も現法も、「人格の完成」を目指すことに変わりはありません。
(表記は「めざし」→「目指し」に変更)
このことについては、文部科学省ホームページの「教育基本法改正に関する国会審議における主な答弁」の中に以下のような記述がありました。
「人格の完成」とはどういう意味か。
小坂文部科学大臣
政府案第一条で言っております人格の完成は、現行法においても教育の目的とされておるわけでございますが、各個人の備えるあらゆる能力を可能な限り、かつ調和的に発展させることを意味するものである、このようにされております。このような人格の完成は、教育の目的として普遍的なものであることから、今回の法案においても引き続き規定することとしたものでございます。 (平成18年6月8日 衆・教育特委 中井洽氏(民主))
このときに現行法としているのは旧法です。
旧法については、以下のような記述があります。
「人格の完成」
個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること(「教育基本法制定の要旨」昭和22年文部省訓令)。
この2つの記述から、「人格の完成」は、
各個人の備えるあらゆる能力を可能な限り、かつ調和的に発展させることを意味するもの
と、捉えることができます。
教育の目標
教育の目的を実現するためには、教育基本法第2条において、目標が掲げられています。
目標とは、そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの(「デジタル大辞泉」引用)です。
(教育の目標)
第二条
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
この記事のまとめ
教員採用試験対策として、「人格の完成」とはどういうことなのか、までは覚える必要はありませんが、「人格の完成」を目指しているということは、覚えておいた方がよさそうです。
ちなみに「目的」は、目指すので、目指したけれど到達できなかったということもあるかなと思います。
ですが、
そもそも人格の完成の着点ってあるのかな。
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