囲碁5回目、本気かどうか
週に一度の囲碁、今回12月3日で5回目となる。
今回の結果は九子局(私が9個多いハンデ)、合格。じんさんの囲碁では、四子局(私が4個多いハンデ)三連勝を目指す。
今回、一発合格ではなかった。
一回目にやったときは負けてしまった。
負けて終わったときに、じんさんからこう言われた。
「変わりたいって言ってるけど、本当は変わりたいと思ってないんだよ。」って。
えっ?ってなった。
私は「いや、そんなはずはない。変わりたい変わりたいって思ってる。」と思ったが、そう頭で思って言葉にしていても、目の前の碁盤には事実が全て現れていた。
負けた理由。
途中から、教わったことを忘れ、自分の考えで石を置いてしまっていたから。
じんさんから、はじめに言われたこと。
基本が大事。
当たり前のことを本当に大事にすると、めちゃくちゃ深くなるよって。
基本や、教わったことを無視して、自分の考えを優先しているとどうなるか?
変われないよって。
本気でそう思ってないからだよって。
そう言われて、グサリと来た。
本当だ。口では何とでも言える。
ついついとか、なんとなくとか、分からないからとか。
色んなことを理由にして、自分の考えを優先するということは、結局いつもの自分と同じ。いつもと変わらないということ。
やっているうちに目的を忘れ、教わったことをきちんとやっていなかった。
じんさんのお話は、例えがとても分かりやすい。
例えば弓道で「ねらったところに打つ」には?
ねらったところに打つには、足元が固定されているからこそ、ねらうことができる。
なら、そのねらいを定めるための土台がまずいる。
「土台」「基本」「教わったこと」
基本を忘れ、教わったことをせずに、他のことを気にしていたらいつまでたっても土台はつくられない。
それを聞いた私は、過去の自分のことを思い出し、自分のアイデンティティにも繋がって、なんだかとても情けない気持ちになった。
じんさんの言葉で背筋を正された私は、「もう一度お願いします」と言って、二回目に挑む。
今度は、とにかく教わったことだけに集中してやったら、勝った。
勝った時の私の心情は、嬉しいとかではなく、「よくわからないけど、なんか勝った」だった。
「よくわからないけど」
これが大事らしい。
わかってからやるのではなくて、「よくわからないけど」教わったことをやるから結果がでる。
大好きな仲間も、いつか言ってくれていた。
「先に進んでいる人、先を知っている人の助言は素直に聞き入れてみることが大切。結果は後からしかわからないけど。」って。
見たり聞いたりしても、変わらなかった私の癖。
囲碁をすればするほど、炙り出される自分自身。
黙ってても、碁盤に全てが映し出されるから、本当に耳が痛いことばかり。
進んでるようで、やっぱり全然進んでなかったんだなと、思い知らされた囲碁だった。
次から意識すること。
教わったこと、基本を一番大事にする。
それを、一つ一つ丁寧にすること。
これを無視すると、結果が変わる。
言葉でどう繕っても、全く通用しない世界。
これからの一手一手がちょっと怖くなってきた…